あの時、この言葉に注目
それぞれの年にどんな言葉がよく使われたのか。「避難」や「津波」といった5年間使われ続けた言葉は除き、その月々で特に使われたものから注目ワードをひろった。
「当番地域」が闇夜に
2011/3
大震災発生の年、津波被害や原子力発電所事故を理由に、47万人が避難生活を余儀なくされた。東京電力は、地域ごとに順番を決めて電気を止める「計画停電」を3月14日から実施。東京都内の当番地域は闇夜になった。被災地では「海水」の被害が深刻に。塩水をかぶった水田では、塩分濃度が高くなると稲が水を吸収できないため、土を洗う作業が必要になった。被災地支援の動きは日ごとに広がり、「義援金」は阪神大震災を上回るペースで集まった。
計画停電で明かりが消えた住宅地
(2011年3月18日午後、東京都足立区)
震災がれきはどこへ
2012/3
震災から1年が過ぎても「がれき処理」の問題は解決しなかった。被災地では処理能力が大幅に不足し、至る所にがれきが積み上がった。政府はがれきの広域処理を進めるため、群馬や神奈川、静岡などにがれき処理の受け入れを要請した。12年度の政府の「予算案」で、東日本大震災の復興経費を管理する特別会計が新設された。復興の本格化で資金需要が高まる可能性に対応するため、日銀は12年3月、被災地の金融機関を対象にした「貸出」制度の1年間延長を決めた。
被災地で処理が進まず、積み上げられたがれきの山
(2012年、宮城県石巻市)
追いつかない除染作業
2013/3
「放射線量」を下げるための除染作業が続く。東京電力福島第1原子力発電所周辺の11市町村は国の直轄で作業を進めるが、人手不足が響き、13年3月時点で作業が本格的に始まったのは4市町村のみだった。一方、この年の公示地価では被災地の上昇が目立った。マンション建設が進んだJR仙台駅東口は「商業地」の上昇率で全国10位に入った。太平洋の「南海トラフ巨大地震」が発生した場合の被害想定を政府が公表。避難者数は最大950万人とされ、東日本大震災を上回った。
常磐道の富岡インターチェンジで行われた除染作業
(2013年、福島県富岡町)
減災への備え
2014/3
震災や津波によるがれき処理が片付き、ようやく動きだした「住宅再建」。産業基盤、公共インフラの復興が先行したため、震災から3年がたっても約10万人の被災者がプレハブ仮設住宅に住んだ。先が見えない避難生活の疲れから「ストレス」を募らせ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)など心の痛みが浮かび上がった。想定外の被害は記憶から消えず、減災への備えが浸透した。民間企業や自治体の間では災害発生時の「BCP(業務継続計画)」の策定が進んだ。
自治体が被災者に賃貸する災害公営住宅の建設現場
(2014年、宮城県山元町)
復興足取り確かに
2015/3
BOSAI――。大震災の経験や教訓を広く生かそうと、仙台市で「国連防災世界会議」が開かれた。各国や国連機関、NGOの代表者らが一堂に集まって防災戦略を議論。参加者は被災地を巡り、くらしや産業復興の足取りを確かめた。東北の珍味で知られる「ホヤ」の養殖も再開されて、出荷が本格化した。社会問題の解決を目指すソーシャルビジネスの起業が話題となり、「まちづくり」も一歩ずつ前へ進んだ。一方で人手不足や資材高騰などが新たな足かせとなった。
大きな被害を受けた三陸海岸のホヤ漁の出荷が本格化した
(2015年、宮城県石巻市)
いまだ消えぬ原発問題
2016/2
原発事故の爪痕は消えず、福島県には「双葉町」をはじめ帰宅困難区域が残る。第1原発は30~40年かけて廃炉される。ただ、「デブリ」と呼ぶ溶け落ちた核燃料の取り出しは準備さえ進まない。東電が実質国有化され「電力自由化」の流れができた。15年に川内原子力発電所(鹿児島県)が再稼働し、原発ゼロは解消した。新規制基準のもとで他の原発も再稼働に動く。しかし、住民の反発は強く、高浜原子力発電所(福井県)は、地裁による運転差し止めの仮処分の決定を受け、3月10日に停止作業に入った。
再稼働後、運転差し止めになった
関西電力高浜原子力発電所3、4号機(福井県高浜町)