原発事故から11
福島県双葉町

始まる帰還、
戻らぬ家族

東京電力福島第1原子力発電所がある福島県双葉町は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の翌朝から、全町避難を余儀なくされた。原発事故の影響で住むことは許されてこなかったが、今年6月にも中心部の避難指示が解除される。しかし、ほとんどの住民は帰還に及び腰だ。その胸の内をのぞいた。

福島県双葉町は
全町民の避難が続く
唯一の自治体だ
22年6月にも、
ようやく住民の
帰還が始まる

スクロール

震災後に避難指示を受けた地域

  • 福島第1原発
国土数値情報データ(国土交通省)を加工して作成

帰還困難区域

  • 福島第1原発
国土数値情報データ(国土交通省)を加工して作成

帰還困難区域

  • 福島第1原発
国土数値情報データ(国土交通省)を加工して作成

21年11月、
埼玉県内で開かれた
町政懇談会

原発20キロ以遠も避難指示
最大16万人が避難

東日本大震災の発生から1時間弱の11年3月11日午後3時半すぎ、巨大津波が高台にある福島第1原発の敷地を襲った。施設の電源が失われ、同日午後8時50分には原発2キロ圏内に避難指示が出た。その後、原子炉建屋内で水素爆発が発生し、避難指示は半径20キロ圏内に拡大。放射線量が高い20キロ以遠も避難区域となった。避難者数はピーク時で約16万人(12年時点)に上った。

7市町村で帰還困難区域
解除を阻む高線量

原子炉の冷却機能が回復し、放射性物質の放出が抑えられた「冷温停止状態」が11年12月に確認されると、避難指示の見直し議論が進んだ。12年4月には、年間放射線量が20ミリシーベルト以下の区域で、事業再開などが認められた。一方、当面は20ミリシーベルトを下回らない恐れがある区域は「帰還困難区域」となった。双葉町を含む原発周辺の7市町村で立ち入り制限が続いた。

一部は「復興拠点」に
居住再開、原発周辺で差

帰還困難区域の一部は17年以降、「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」に指定され、帰還に向けて先行して除染やインフラの整備が進められた。福島第1原発1~4号機がある大熊町は、帰還困難区域から外れたエリアに町役場の新庁舎や災害公営住宅を整備。廃炉作業に従事する東京電力関係者を含め、3月1日時点で少なくとも926人が住んでいるという。

一方、双葉町はほぼ全域が帰宅困難区域のままで、原発周辺自治体で唯一、すべての町民の避難が続いている。原発周辺の自治体間で、生活再建の進展に差が出始めている。

「町が存続できるか、
危機的な状況にある」

伊沢史朗・双葉町長は厳しい現状認識を語った。

帰還が進むかどうかは、地域再生の行方を左右する。

原発事故は
それぞれの暮らしを変えた

スクロール

双葉町で代々、
商売を営んできた吉田さん一家

親世代

子世代

住むのは、埼玉県

住むのは、福島県

離ればなれの生活が続く

スクロール

双葉町で代々、
商売を営んできた吉田さん一家

親世代

住むのは、埼玉県

子世代

住むのは、福島県

離ればなれの生活が続く

子世代

職場は原発3キロ圏
最前線で再生を支える

福島県双葉町

一度は諦めた跡継ぎ
「単身赴任」でスタンド経営

一家が経営してきたガソリンスタンド「伊達屋」は現在、長男の吉田知成さん(46)が切り盛りする。震災当時は東京都内で勤務。「いつかはUターンを」と思っていたが、原発事故で一度は諦めた。

吉田知成さん

双葉町役場や事業者から「給油できる場所がほしい」との要望を受け、特例措置に基づき17年に営業再開。地元で復興に携わる同世代の存在が、決断を後押しした。妻、小学生の長女を都内の自宅に残し、単身赴任で福島県いわき市から双葉町に通っている。

「憩いの場」を再興
研究重ねた絶品サンド

ビジネスの拠点として20年にオープンした「双葉町産業交流センター」の一角に「ペンギン」という店がある。一家がかつて町内で営んでいた飲食店を復活させた。調理や接客をこなすのは次女の山本敦子さん(50)だ。

山本敦子さん

原発事故で双葉町から横浜市に避難。夫が働く「伊達屋」の復活を機に、いわき市内に移った。再開にあたり、カツサンドなど新メニューを考案。食事ができる場所が限られている町内で、貴重な憩いの場となっている。

親世代

古里から190キロ
いまも続く集団避難

埼玉県加須市

長期化覚悟で自宅購入
たどり着いた静かな暮らし

一家の両親、吉田俊秀さん(74)、岑子さん(77)は現在、埼玉県加須市で避難生活を続けている。原発事故直後に、役場機能ごと埼玉県内に集団避難した双葉町と行動を共にした。1千人超が身を寄せた加須市内の廃校に数カ月滞在した後、近隣に再避難。13年に現在住む中古の一戸建てを買った。事故前は「自営業だから、年末年始も働いていた」と振り返る俊秀さん。経営を息子に譲った今、静かな日常を送っている。

吉田俊秀さん
吉田岑子さん

避難先の「自治会長」
埼玉・加須と双葉をつなぐ

俊秀さんは20年から、加須市周辺に住む双葉町民の自治会長を務めている。自治会には100世帯以上が加入。新型コロナウイルスの感染者が減っていた21年11月には、自治会としては初めて双葉町への「里帰り」を企画。大型バスをチャーターし、30人弱を引率した。

ただ、感染状況によってはイベントを自粛せざるを得ず、コミュニティーの維持は課題が少なくない。俊秀さんは「ちょっとした用事でこまめに顔を合わせるなどして、町民同士のつながりを保っていきたい」と話す。

バリケードで
隔てられた古里
町民は避難先を
転々とした

スクロール

役場機能は
移転を繰り返した

役場機能は
移転を繰り返した

  • 1000人以上
  • 500〜999人
  • 300〜499人
  • 100〜299人
  • 1〜99人
  • 0人

双葉町民の避難先

(出所)双葉町

解除5年後に
「居住者2千人」が目標
インフラ復旧徐々に

解除5年後に
「居住者2千人」が目標
インフラ復旧徐々に

双葉町提供

震災翌朝
突然の全町避難

政府による原発10キロ圏の避難指示を受け、双葉町は11年3月12日午前8時に防災無線で全町避難を呼びかけた。町民は自家用車やバスで山間部の福島県川俣町に避難。「被曝(ひばく)を避けるため、とにかく遠くへ逃げる」という当時の井戸川克隆町長の判断で、同月19日に「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市)へ集団避難した。

廃校に1千人超
町民に「分断」も

11年3月末には、埼玉県加須市の旧県立騎西高校に再避難。「町民の孤立を防ぐ」という狙いがあり、廃校となっていた校舎、体育館に1千人超が身を寄せた。時間とともに福島県内に戻る住民が増えると、被災自治体で唯一役場機能を県外に置いていることへの反発が強まった。13年6月に役場機能が福島県いわき市に移り、同年12月には旧騎西高校から町民全員が退去した。

42都道府県に避難
4割は福島県外

震災当時に双葉町にいて、その後も町が支援対象とする住民は6699人(2月末時点)。うち、59%にあたる3980人は福島県内に避難している。県内では役場機能があり、双葉町と同じ太平洋沿岸(浜通り)のいわき市が最多の2140人。県外の避難先は埼玉県(760人)、茨城県(453人)、東京都(358人)の順に多い。

双葉町は避難指示の解除から5年後に、居住者を約2千人とする計画を掲げている。今年1月から、泊まり込みで居住再開に向けた作業を進める「準備宿泊」が開始。3月6日時点で20世帯27人の申し込みがあった。


町内では、8月末に町役場仮庁舎が開設される計画。10月にはJR双葉駅近くに整備する災害公営住宅の入居を受け入れる。

避難が解除される約560ヘクタールを「新産業創出ゾーン」「再生可能エネルギー・農業再生モデルゾーン」など6区画に分類し、経済やにぎわいの復活を目指す。20年には産業の拠点となる「双葉町産業交流センター」と被災について伝える「東日本大震災・原子力災害伝承館」が相次ぎオープンした。


水道、道路などインフラの復旧も進み、22年度中には町立の診療所も開設される見込み。一方で教育機関が町に戻る見通しは立っていない。

子世代

帰還を目指す町
しかし、いまの暮らしを
「リセット」するのは
容易でない

福島県双葉町

「生活を落ち着けたい」
いわき市に「実家」構える

敦子さんは、いわき市内に買ったマンションで夫と暮らす。「引っ越しの繰り返しは疲れた。生活を落ち着けたい」といい、親元を離れた子供らのために「現在の住まいを『実家』にすると決めた」と話す。「双葉町で自宅を再建したら、『継ぐべきなのか』と子供らに負担を強いることになる。親として、それはできない」と胸中を明かす。

「双葉町は働く場所」
心配な生活環境

単身赴任でいわき市内に住む知成さんも、当面は1時間ほどの車通勤を続けるつもりだ。取引先や、同世代の地元経営者らの多くはいわき市内で暮らしている。双葉町に住んでいては、懇親の機会も限られる。「商業施設や飲食店がどこまで戻るかは未知数。出歩く先がなく、職場と自宅を往復する生活になりかねない」と話す。

スクロール

  • 戻らないと決めている
  • まだ判断がつかない
  • 戻りたいと考えている
  • 無回答

双葉町への帰還意向

(出所)復興庁など

帰還判断に必要なこと

(出所)復興庁など
(注)「戻りたい」「判断がつかない」とした人が回答。最大3項目を挙げた

戻らないと決めている理由

(出所)復興庁など
(注)複数回答

「戻らない」は6割、際立つ慎重姿勢

復興庁などが21年8~9月に実施し、双葉町の約1400世帯が回答した意向調査によると、将来的な希望を含めて「戻りたい」とするのは全体の11・3%にとどまった。世代別では、30歳代が最も少ない5・0%だった。最多の50歳代も15・7%で2割を割り込んでいる。一方、「戻らない」という回答は全体の60・5%を占めている。

生活基盤の見通し不可欠

「帰還を判断するために必要なこと」を尋ねた項目では、住居、水道に関する情報や、商業施設、医療施設など生活に欠かせない施設の整備に回答が集まった。

安全性に心配も

一方、「戻らない理由」を複数回答で挙げてもらうと「避難先で自宅を購入・建築し、将来も継続的に住む予定だから」がトップの56・6%。「生活用水の安全性に不安」(31・0%)、「原発の安全性に不安」(27・4%)といった懸念も少なくない。

それでも古里への思いは
変わらない

スクロール

21年の大みそか。加須市の俊秀さん、岑子さん宅を、知成さん一家、敦子さんの長女、長男が訪ねた。テーブルに集まり、古いアルバムを開く。原発事故後に解体した双葉町の自宅から持ち出したものだ。数十年前の家族写真を見つけると、自然と笑みがこぼれた。

俊秀さんらは、これからも加須市に住み続けるつもりだ。老いゆく今後を見据えると、医療体制に不安がある地元は心もとない。

それでも、「双葉に帰りたい」という思いはずっと変わらない。