急増するネット買い物弱者
手軽さ裏目、トラブル誘発
高齢者のネット通販トラブルが広がっている。日本経済新聞が国民生活センターの相談データを調べたところ、60歳以上は2019年度に約2万5800件と、10年度の15倍になった。59歳以下の伸びが6倍弱だったのに比べ、増え方が急だ。慣れない画面構成や操作手順が高齢者特有の誤注文を招いており、トラブル発生率も高い。売り手はネット時代の「買い物弱者」を守る対策を講じる必要がある。
高齢者の相談、ネット通販は15倍に
日経新聞は国民生活センターから年齢層や注文経路、商品ごとに分けられた通販トラブルの相談データを独自に入手。映像配信や金融サービスなどを除き、日常的に売買される物品関連の相談を抽出して分析した。19年度の全体の相談件数は10年度比3.3倍の18万3000件。うち年齢の申告がない分を除いた60歳以上は3.5倍の5万500件だった。
ネット経由が5割超す
ネット通販のトラブルに限って見ると、60歳以上の相談が15倍に増えたのに対し、郵便や電話、ファクスを通じたネット以外のトラブルは2万4700件と、伸びが2倍にとどまった。その結果、ネット通販と初めて逆転し、ネット以外が約1000件下回った。59歳以下のネット通販トラブルは9万8200件で伸びは5.7倍にとどまった。
健康食品は102倍に急伸
60歳以上では健康食品を巡るトラブル相談が最も多い。その数は約1万1000件となり6倍に増えた。このうちネットで購入したケースが7400件と、じつに10年度から102倍にも膨らんだ。半面、電話や郵便などで注文した利用者からの相談件数は変化が小さい。
半年で消えた1000万円
高齢者の伸びが際立つのは、高齢者の間でネット利用が浸透してきたことだけが要因ではない。年齢層別の人口と野村総合研究所が調べたネット通販利用率を基に、ネット通販トラブルの発生率を推計すると、60歳以上は59歳以下の3倍だった。なぜ、高齢者はネット通販トラブルに巻き込まれやすくなったのか――。
まずネット操作が不慣れな高齢者が多い。国民生活センターによると、決済後も購入ボタンを何度も押して過剰に注文する事例や、1回限りのつもりが定期購入になっていたとの相談が増えている。確認表示や注意書きが小さく、気づきにくいことが一因だ。キャンセルしたくても、ネット上の手続きに限られると断念することも多いという。
もうひとつは認知機能の低下という誰にでも起こりうる問題がある。
「同居家族でもなかなか気づかなかった。もし一人暮らしだったらいったいどうなっていたのか」
じゅうたん、つぼ、健康食品、美容品に囲まれながら福井県越前町の主婦、高田奈津子さん(仮名)は肩をすくめた。現在86歳の義母に認知症の兆しが出始めた3年前。そのころから同じような商品を次から次に買うようになった。おかしいと思いながらも、裕福なうえ、本人の口座から引き落とされていたので、問いただすことはなかった。気づいたら半年で約1000万円が消えていた。慌てて購入をやめさせた。
いつ、どのような手段で注文していたのか分からないものも多い。本人は「覚えていない」という。返品できる期限はとっくに過ぎているから、諦めるしかない。しかし、もやもやとした思いが残る。「おかしな注文が続けば、止めてくれる仕組みがあればいいのに......」
認知症を研究する京都府立医科大学の成本迅教授は「同じ商品を何度も買う認知症患者は多い。手軽に買えるようにしたネット通販の画面デザインは過剰購入を招く」と指摘する。認知症が進むと外出意欲を失い、パソコンやテレビの前で過ごす時間が長くなりがちだ。直前の行動も忘れる傾向が強いアルツハイマー型は高リスクだといい、「今後深刻な社会問題になりうる」。
推定認知症患者数
2015年 | 2050年 | |
---|---|---|
世界 | 5000万人 | 1億5200万人 |
日本 | 525万人 | 1016万人 |
WHO(世界保健機関)は認知症患者が毎年1000万人近く増え続け、2050年には1億5000万人を超えると予想する。現状は6~7割を過剰購入のおそれがあるアルツハイマー型が占める。
一人暮らしが増え、トラブルは埋もれがち
特に一人暮らしの場合は発見も相談もされずに問題は埋もれがちだ。日本での65歳以上の一人暮らしは700万人に近づき、高齢女性の一人暮らし比率は約22%に達する見込み。母数も増え続ける。
80代も巻き込まれる
高齢者はネットを利用していないのではないか、という見方は過去のものだ。トラブル相談全体の購入経路を分析すると、ネット通販の割合は60歳以上で5割を超え、さらに70歳代だけを見ても4割を超えていた。80歳代も2割に迫る。もちろんネット利用に慣れた59歳以下の方が比率は高いが、60、70歳代、80歳以上はそれぞれネット通販トラブルが9年間で14~18倍になっており、59歳以下の水準にどんどん近づいているのだ。
新型コロナ流行でネット利用加速
新型コロナウイルスの流行後、外出自粛でネット利用は加速する。総務省の家計消費状況調査によると、2人以上の高齢者世帯のネット注文率は4月から従来の上昇トレンドを上回り、70歳代で約7%になった。80歳以上の主要日用品のネット支出額の伸び率も4月以降跳ね上がった。6月には前年同月比56%増となり月6000円の大台を超えた。
過剰注文への歯止め乏しく
ネット通販の大手は認知機能が落ちた利用者にどう向き合っているのだろうか。ネットで販売される代表的な健康食品を選び、実際に米アマゾン・ドット・コムの日本サイト、楽天の「楽天市場」、Zホールディングス傘下のヤフーが運営する通販サイトで最も安い価格で最初に表示された同一商品を1日2回、8日連続で注文してみた。通常ではありえない注文の数と頻度だ。
アマゾンではすぐに重複購入を伝えるメッセージが画面上部に表示される。楽天やヤフーでは警告はなかった。ただ、楽天は過剰購入の歯止め効果があるとされる条件確認のポップアップ表示だけが購入時に出てきた。ヤフーではいずれの表示も確認できなかった。日本のネット大手の取り組みは米アマゾンに比べ遅れている。
赤外線カメラで認知症患者の視線を分析する大阪大学の武田朱公准教授は「認知機能が落ちると視線は散漫になったり、偏ったりしやすい」と解説する。ネット大手の現行の警告や注意喚起は高齢者、特に認知機能が落ちた人には効きにくいとみられる。
高齢者も想定した画面デザインの改善を提案するコンサルティングのビービット(東京・千代田)の広橋沙紀シニアコンサルタントも同じ見解だった。画面上部に表示されたアマゾンの重複購入の警告について「高齢者は見落としやすい配置だ。購入時に必ず見る決済ボタンの近くに置くべきだ」と指摘。楽天の購入条件の確認表示についても「文字が小さすぎて読まれない」とした。
判断力が落ちた高齢者への過剰販売に法的問題はないのか。ネット通販の規制に詳しい染谷隆明弁護士は「規制が未整備で違法と認定しづらいが、利用者と信頼関係を強める対策を施すべきだ」と語る。
アマゾンは「重複注文には注意喚起しており、不要な注文や誤った注文はキャンセルできる」と説明。楽天は「家族から申し出があれば、出店側に販売を控えるよう注意喚起するケースはある」とし、ヤフーは「すぐに対応する予定はない」と答えた。
ビッグデータ生かし、きめ細かな異常検知と通知を
日本では高齢化とネット普及が同時かつ急激に進む。巨大なネット通販市場を持つ欧米や中国が今後向かう領域を先取りしているといえる。高齢者が安心して利用できるネット通販のモデルケースを作っていく力量が試されている。
日本は高齢化とネット普及で先頭を走る
高齢化率とネット普及率とネット通販市場規模
ネットサービスは視聴内容や時間、課金の制限など、主に未成年を対象に弱者を守る技術を磨いてきた。健康食品大手のファンケル、キューサイ(福岡市)、えがお(熊本市)などは通常の消費量をはるかに超えた注文を制限しているが、こうした高齢者向けの仕組みは発展途上にある。
大規模な取引データ量と資金を持つ楽天やヤフーのようなネット大手であれば、購買パターンから過剰購入や誤った購入の兆候を検知し、家族などにきめ細かく注意喚起する技術の開発は可能だ。高齢者をネット通販市場に呼び込むだけでなく、トラブルから守る対策を急がなければ、信頼性を高められない。