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延焼の様子は「内閣府の災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(1923関東大震災)」などを基に、当時の東京市の地図上に重ねて作成。地図の青色の網掛け部分は海や川、水路などを表している。写真や動画の時間・場所は推定される撮影時間・場所を目安にしている
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再現 首都延焼46時間

1923年9月1日に発生した関東大震災。当初は局所的だった火災が、なぜ首都の4割を焼き尽くす猛火へと変わったのか。46時間に及んだ延焼を、資料を基に再現した。

強風下の火災、
「木の街」のみ込む

午前11時58分に東京都心部を襲った震度6の揺れに伴って多数の場所で火災が発生。消しきれなかった火は合流して勢いを強めた。強風もあいまって巨大な火災旋風と化し、木造建築物が並ぶ街と人々をのみ込んだ。

地震発生
91
11:58

お昼時を襲った巨大地震

昼食の時間を襲った地震により、かまどや七輪から出火。記録では発生から午後11時までに98カ所で火災が生じ、27カ所は即時に消火できたが、消しきれなかった71カ所の火災が燃え広がっていった

1地震直後の銀座・中央通りの中央付近で余震を警戒する人たち。この時点ではまだ火の手は迫っていない
地震直後の銀座・中央通りの中央付近で余震を警戒する人たち。この時点ではまだ火の手は迫っていない

東京都復興記念館所蔵資料

2帝国劇場など当時の代表的な建築物にも延焼した火が回り始める
帝国劇場など当時の代表的な建築物にも延焼した火が回り始める

東京都復興記念館所蔵資料

3有楽町の東京電灯(現在の東京電力)は地震とともに火に包まれた
有楽町の東京電灯(現在の東京電力)は地震とともに火に包まれた

東京都復興記念館所蔵資料

4日本橋室町付近で大通りに避難する人たち。左手の高いビルが三越本店
日本橋室町付近で大通りに避難する人たち。左手の高いビルが三越本店

東京都復興記念館所蔵資料

5帝室林野管理局庁舎では漏電による出火があり、南風に乗って近くにあった内務省に飛び火したとされる
帝室林野管理局庁舎では漏電による出火があり、南風に乗って近くにあった内務省に飛び火したとされる

国立映画アーカイブ所蔵資料

6帝室林野管理局庁舎の白煙が、強風にあおられている
帝室林野管理局庁舎の白煙が、強風にあおられている

国立映画アーカイブ所蔵資料

地震発生から
1時間経過
91
13:00

浅草区台東区東部)、神田区千代田区北部)、本所区墨田区南部)で延焼が拡大。火災に囲まれた場所も

7神田区内、土蔵が火災で燃え崩れている
神田区内、土蔵が火災で燃え崩れている

国立映画アーカイブ所蔵資料

地震発生から
2時間経過
91
14:00

火災が合流し、浅草、神田、本所の3区で過半が焼失

8国内で最も高い建築物だった浅草凌雲閣(通称・浅草十二階)は揺れによって8階より上が崩れ落ちた

国立映画アーカイブ所蔵資料

9九段坂上から炎上する神田方面を見た様子。避難場所を探す人の姿もみえる。
九段坂上から炎上する神田方面を見た様子。避難場所を探す人の姿もみえる。

国立映画アーカイブ所蔵資料

地震発生から
3時間経過
91
15:00

火勢はさらに強まり、多くの人が逃げ場を失っていく

10隅田川にかかる吾妻橋の西詰めから対岸の火災をみる人々
隅田川にかかる吾妻橋の西詰めから対岸の火災をみる人々

国立映画アーカイブ所蔵資料

地震発生から
4時間経過
91
16:00

本所区の陸軍被服廠(しょう)跡では北、東、南の三方から火の手が迫り、避難者が持ち運んだ家財などに燃え移った

11吾妻橋からみた向島の延焼の様子
吾妻橋からみた向島の延焼の様子

国立映画アーカイブ所蔵資料

地震発生から
5時間経過
91
17:00

南風だった風向きが夕方にかけ西風へと変わっていく。その後も風向きは変化し、延焼範囲を広げていった

火災が起こした旋風で、人も家も巻き上げられる様子を描いた画家の徳永柳洲の作品
火災が起こした旋風で、人も家も巻き上げられる様子を描いた画家の徳永柳洲の作品

東京都復興記念館所蔵資料

地震発生から
6時間経過
91
18:00

火災は深川区江東区西部)でも広がっていく

地震発生から
7時間経過
91
19:00

火災旋風がこの頃までに各区で多発

地震発生から
8時間経過
91
20:00

深川区で燃え方の勢いが強まる

地震発生から
9時間経過
91
21:00

京橋区中央区南部)の火災が隅田川を越え、月島に延焼する

地震発生から
10時間経過
91
22:00

京橋区で飛び火による出火が7件発生

地震発生から
11時間経過
91
23:00

浅草公園(浅草区)が焼失を免れる

地震発生から
12時間経過
92
00:00

麴町区千代田区南部)ではこの頃から火災の影響で気温が急激に上昇し、午前1時時点で45度を超える

地震発生から
14時間経過
92
02:00

浅草、神田、深川、本所、日本橋中央区北部)の5区では延焼がより進み、午前3時ごろに大半の地域が焼失

地震発生から
16時間経過
92
04:00

芝区港区東部)の北部の多くが焼失

地震発生から
18時間経過
92
06:00

下谷区台東区西部)南東部が徐々に延焼

地震発生から
21時間経過
92
09:00

2日は朝から南風へと変わり、昼にかけて風速が強まっていく

地震発生から
24時間経過
92
12:00

下谷区の延焼が西側にも進む

地震発生から
27時間経過
92
15:00

延焼はなおも続く。鎮火は3日午前10時まで待たなければならない

最終延焼範囲

延焼は46時間続いた

東京市では地震発生直後から46時間にわたって延焼が続いたという。市域全面積79.4平方キロメートルの4割強となる34.7平方キロメートルが焼失した。

東京市の約4割を
焼失させた関東大震災

死者の9割超は火災によるものだった。当時の建物の耐震性、耐火性の乏しさが被害を拡大させた。

  • 01本所区は9割が焼失し、約4万8000人が亡くなった(国立映画アーカイブ所蔵資料)

  • 02焼失した上野駅。煙がくすぶるなか人々が行き交う(国立映画アーカイブ所蔵資料)

  • 03神田橋が地震で落下し、仮設の橋が設けられた(国立映画アーカイブ所蔵資料)

  • 04一部被害を受けた東大赤門(国立映画アーカイブ所蔵資料)

  • 05麴町区内で揺れによって生じた地割れ(国立映画アーカイブ所蔵資料)

  • 06避難する人らでごった返す田端駅付近(国立映画アーカイブ所蔵資料)

  • 07日比谷公園内には避難民のバラックが建てられた(国立映画アーカイブ所蔵資料)

  • 08多くの犠牲者がでた陸軍被服廠跡。ここに震災記念堂、現在の東京都慰霊堂が建てられた(東京都復興記念館所蔵資料)

  • 09旧両国国技館も焼失した(東京都復興記念館所蔵資料)

01
本所区は9割が焼失し、約4万8000人が亡くなった
02
焼失した上野駅。煙がくすぶるなか人々が行き交う
03
神田橋が地震で落下し、仮設の橋が設けられた
04
一部被害を受けた東大赤門
05
麴町区内で揺れによって生じた地割れ
06
避難する人らでごった返す田端駅付近
07
日比谷公園内には避難民のバラックが建てられた
08
多くの犠牲者がでた陸軍被服廠跡。ここに震災記念堂、現在の東京都慰霊堂が建てられた
09
旧両国国技館も焼失した

被害拡大、
断水や強風も要因

昼食時に発生したことから、調理道具だったかまど、七輪から同時多発的に出火。地震に伴う断水で消火活動が行えない中、関東地方で吹いていた強風によって火災が広がっていった。

家財道具と共に避難した人が多く、逃げ場を塞ぐことになっただけでなく、火が燃え移ったことで甚大な被害を引き起こしたとされる。

都市のアキレス腱、
木造密集地解消道半ば

首都直下地震が起こった際に、東京都心部のアキレス腱となるのが木造密集地の存在だ。過去10年で半減したもののなお23区面積の1割強に相当する。都の被害想定では死者の約4割が火災で、木密解消は被害軽減の上で要となる。

都内になお
約8600ヘクタール

東京都内の木造住宅密集地域の推移

東京都内の木造住宅密集地域の推移
都への取材に基づく

2011年の東日本大震災を機に東京都は12年に「不燃化特区制度」を創設。老朽化した木造建築物の解体や建て替えを促し、20年時点での都内の木密は約8600ヘクタールと10年の約1万6000ヘクタールから大幅に減った。

不燃化目標に未達

整備地域ごとの不燃領域率の現状(%)

整備地域ごとの不燃領域率の現状(%)
都の資料を基に作成

都が木密解消の指標とするのが空き地や耐火性のある建物などがある地域に占める「不燃領域率」だ。木密の中でも危険性が大きい28地域を「整備地域」とし、全体平均で不燃化領域率70%の達成を目指す。当初は20年度を目標にしていたが、現状は65%と未達だ。

密集地解消へ、
長期的視野が必要

木密解消は思うように進んでいない
木密解消は思うように進んでいない=共同

解消が思うように進まない背景には住民の高齢化や道幅が狭い地域では土地利用が制限されることがある。個別の建物の建て替えだけでは限度があり、東京都立大の中林一樹名誉教授(都市防災学)は「木密解消は延焼遮断効果が大きい一定の幅がある道路の整備に加え、細い街路をいかに拡幅できるかにかかっている。行政は長期的な視野で住民に寄り添ってまちづくりをどう進めるか考える必要がある」と話す。

地震大国の日本、
過去を教訓に備えを

巨大地震による
人的・物的被害は大きい

関東大震災から100年。高層マンションやビルなど町並みは一変し、日常生活のなかで当時の悲劇を思い起こすことは少なくなっている。だが、国はマグニチュード(M)7クラスの地震が、30年以内に70%程度の確率で起こる恐れがあるとしている。過去を見つめ直し、いまできる備えを一つ一つ積み上げていくことが必要になる。

関東
大震災
阪神
大震災
東日本
大震災
発生日時1923
91
1158
1995
117
546
2011
311
1446
地震の
大きさ
マグニチュード
7.97.39.0
直接死・
行方不明
10
5000
55001
8000
全壊・
全焼住家
29万棟11万棟12万棟
経済被害55億円9
6000億円
16
9000億円
GDP比37%2%3%

防災白書などから引用