自民党総裁は
どう決まる?
選出のしくみと過去の戦い
自民党総裁選は17日に告示された。河野太郎規制改革相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行の4氏が立候補を届け出た。投開票は29日。自民党総裁はどう決まるのか。総裁選のしくみや過去の戦いをまとめた。
総裁選の日程は?

総裁選は17日告示され、各候補の陣営は党所属国会議員20人の推薦人名簿など立候補に必要な書類を提出した。候補者同士の論戦を経て、29日に投開票を迎える。総裁選に勝った候補が総裁に選ばれる。新総裁は10月4日に召集される臨時国会で新首相に選出され、新内閣が発足する見通しだ。
総裁選の仕組みは?

総裁の任期は3年で、連続で3期まで務めることができる。任期切れに伴う今回の総裁選の場合、党所属の国会議員が1人1票を持つ「国会議員票」と、全国の党員・党友の投票で配分を決める「党員・党友票」の合計で争う。
党員・党友票は議員票と同数になるよう換算する。全国の得票数を「ドント方式」で各候補に配分する。
今回は党所属の国会議員は382人(衆参両院の議長を除く)。国会議員票382票と党員・党友票382票を合わせた764票で争われる。


投票で有効投票の過半数を得れば総裁に選ばれる。どの候補も過半数に達しない場合、上位2人の決選投票になる。国会議員票は382で変わらないものの、党員・党友票は都道府県連に1票ずつ割り振られた計47の地方票になる。1回目の投票より国会議員票の割合が大きくなる。
1956年12月の総裁選は1回目投票で2位の石橋湛山氏が3位の石井光次郎氏と組む「2位・3位連合」で、1位の岸信介氏を決選投票で制した。
過去の総裁選は?
現職の総裁が出馬しない総裁選は、新しい「党の顔」を選ぶ争いになる。任期満了に伴う総裁選の場合、党所属国会議員と党員による投票で争われ、党員票が時にドラマを起こす。任期満了に伴う総裁選で「党の顔」を決めた歴史を振り返る。
2012年総裁選
安倍氏が返り咲き、政権交代へ

決選投票
- 安倍晋三
- 108
- 石破茂
- 89
第1回投票
- 安倍晋三
- 141
- 国会議員票 54
- 党員票 87
- 石破茂
- 199
- 国会議員票 34
- 党員票 165
- 町村信孝
- 34
- 国会議員票 27
- 党員票 7
- 石原伸晃
- 96
- 国会議員票 58
- 党員票 38
- 林芳正
- 27
- 国会議員票 24
- 党員票 3
安倍晋三首相は12年総裁選で勝ち、およそ5年ぶりに総裁に返り咲いた。同年の政権交代と首相再登板につながった。総裁選の1回目投票は石破茂元幹事長が安倍氏を上回り、決選投票での逆転勝利だった。
2009年総裁選
再建テーマに、谷垣氏が野党党首

- 谷垣禎一
- 300
- 国会議員票 120
- 党員票 180
- 河野太郎
- 144
- 国会議員票 35
- 党員票 109
- 西村康稔
- 54
- 国会議員票 43
- 党員票 11
衆院選の敗北で野党となった自民党。09年総裁選は自民党をどう再建するかがテーマとなった。新総裁に就いた谷垣禎一氏は3年後、野党党首のまま退いた。
2006年総裁選
「麻垣康三」のうち安倍氏が大勝

- 安倍晋三
- 464
- 国会議員票 267
- 党員票 197
- 麻生太郎
- 136
- 国会議員票 69
- 党員票 67
- 谷垣禎一
- 102
- 国会議員票 66
- 党員票 36
ポスト小泉は「麻垣康三」と呼ばれた。麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の4氏で、総裁選は福田氏を除く3人の争いとなった。大差で制した安倍氏だが、1年後に持病の悪化で退陣を余儀なくされる。
1995年総裁選
橋本氏が小泉氏を大差で破る

- 橋本龍太郎
- 304
- 国会議員票 239
- 党員票 65
- 小泉純一郎
- 87
- 国会議員票 72
- 党員票 15
現職の河野洋平総裁(副総理・外相)は出馬を断念した。「河野総裁では次の衆院選を戦えない」との党内意見に抗しきれなかった。橋本龍太郎氏が国会議員票、党員票ともに当初から優位とみられ、小泉純一郎氏を大差で破った。
1982年総裁選
中曽根氏が党員の予備選で圧勝

予備選
- 中曽根康弘
- 55万9673
- 河本敏夫
- 26万5078
- 安倍晋太郎
- 8万443
- 中川一郎
- 6万6041
現職の鈴木善幸首相が不出馬を表明し、中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎、中川一郎の4氏が出た。党員・党友による予備選で中曽根氏が圧勝。河本氏らは本選を辞退し、中曽根氏の当選が決まった。
1978年総裁選
党員投票で「天の声にも変な声がある」

予備選
- 大平正芳
- 748
- 福田赳夫
- 638
- 中曽根康弘
- 93
- 河本敏夫
- 46
現職の首相だった福田赳夫氏は初の党員投票による予備選で大平正芳氏に大差をつけられた。事前の世論調査で大平氏らに先行していた福田氏は「予備選で差がつけば2位の候補は総裁選を辞退すべきだ」と語っていた。「天の声にも変な声がたまにはある」と述べ、本選を辞退した。
1972年総裁選
「三角大福」の争い、田中氏勝利

決選投票
- 田中角栄
- 282
- 福田赳夫
- 190
第1回投票
- 田中角栄
- 156
- 福田赳夫
- 150
- 大平正芳
- 101
- 三木武夫
- 69
佐藤栄作首相の後継を選ぶ総裁選には「三角大福」と呼ばれた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の4氏が立候補した。いずれも派閥のトップで、派閥を挙げて戦う色彩が濃かった。福田氏は早くから「ポスト佐藤」と目されていたが、田中氏が勝ち「角福戦争」を制した。