やまぬ弾圧、
消えた村

ミャンマー・クーデター
から1年

チン州の町タントランでは国軍の砲撃で家屋が焼失した(Chin Human Rights Organization提供。AP)

ミャンマー国軍がクーデターを起こしてから2月1日で1年を迎えた。国軍は徹底した弾圧で抗議デモを鎮圧したが、抵抗する市民や少数民族の武装組織との衝突は全土に広がっている。データをもとにミャンマーの1年間の変化を探る。

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抗議デモから
武装抵抗へ

「恐怖に支配されて暮らすのはもう嫌だ」――。2021年2月、市民は国軍に対する抗議デモを展開したが、治安部隊の容赦ない弾圧で行き詰まった。普通に生活していた若者が武器を手にし、国軍と戦う。戦闘は国軍の当初の予想以上に長引いている。

時系列でみる抗議デモと武力衝突

  • 抗議デモ
  • 武力衝突・爆発
データは武力紛争発生地・事件データプロジェクト(ACLED)から。2021年以降に「武力衝突」「爆発」「抗議デモ」の発生した位置情報を基に作成

第1フェーズ(2021年2~4月)
広がった抗議デモ、弾圧で減少

クーデターに対する抗議デモは全土に拡大した。国軍は2月下旬から強制排除に乗り出す。市民は路地にバリケードを築き、公務員や銀行員が職場を放棄する「不服従運動(CDM)」を展開して抵抗したが、治安部隊の武力行使で多数の死者を出した。

抗議デモと武力衝突の発生回数
  • 抗議デモ
  • 武力衝突・爆発
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ACLEDのデータから作成
第1フェーズで発生した地域
抗議デモが中心
  • 抗議デモ
  • 武力衝突・爆発
©︎Mapbox, ©OpenStreetMap

第2フェーズ(2021年5~8月)
平和的なデモは難しく、コロナ禍も影

拘束を免れた議員らは4月、国軍に対抗する「挙国一致政府(NUG)」を発足させた。平和的なデモが困難になるなか、国軍の協力者の殺害や爆弾事件が急増した。一方、新型コロナウイルス感染拡大で医療が崩壊し、酸素不足で多くの犠牲者が出た。

抗議デモと武力衝突の発生回数
  • 抗議デモ
  • 武力衝突・爆発
SCROLL
ACLEDのデータから作成
第2フェーズで発生した地域
抗議デモと武力衝突がほぼ同数
  • 抗議デモ
  • 武力衝突・爆発
©︎Mapbox, ©OpenStreetMap

第3フェーズ(2021年9~12月)
民主派が武装闘争を宣言、武力衝突が増加

NUGは9月7日、自衛のための武装闘争を宣言した。市民が各地で結成した「国民防衛隊(PDF)」によるゲリラ攻撃が激化し、山間部の少数民族武装勢力を巻き込んで全土で衝突が増えた。国軍は砲撃や空爆で対抗し、村が放火される事件も相次いだ。

抗議デモと武力衝突の発生回数
  • 抗議デモ
  • 武力衝突・爆発
SCROLL
ACLEDのデータから作成
第3フェーズで発生した地域
武力衝突が多く
  • 抗議デモ
  • 武力衝突・爆発
©︎Mapbox, ©OpenStreetMap
topic2

弾圧で消えた村

西部チン州タントランの衛星写真
画像提供=米Google()、© 2021, Planet Labs PBC. All Rights Reserved.(

同一の建物

画像提供=米Google()、The Chinland Post(

ミャンマーの内戦の歴史で、国軍が敵対する村を焼くのは珍しくない。恐怖を植え付け、反撃の芽を摘む狙いだ。そのたびに多くの住民が近隣の村やジャングルでの避難生活を余儀なくされる。
1月、西部チン州の町タントランで多数の家屋が炎上する画像がSNS上で拡散した。出回った画像の多くは地元メディアThe Chinland Post(チンランドポスト)のものだ。現地報道によると、3~5日にかけ国軍の攻撃により町の100軒以上の家が焼失した。
タントランでは21年10月にも、民主派の住民でつくるチンランド防衛隊(CDF)が国軍部隊を攻撃。国軍は町を砲撃し、のちに家屋に放火したという。多くの住民はすでに避難していた。CDFは少数民族武装勢力のチン民族戦線(CNF)と共闘している。
放火は11月にも起き、約50軒が焼失した。日経が米衛星情報会社プラネットが撮影した最新画像を使って確認すると、300軒以上の家屋が失われている様子が確認できる。

キンマ村の衛星写真
© 2021, Planet Labs PBC. All Rights Reserved.

マグウェ管区キンマ村では6月15日、村の大半が焼け落ちた。現地報道によると、村の住民は「国軍部隊と市民の武装組織が衝突し、その後、無人になった村に兵士が放火した」と述べた。国軍は「爆発物や銃を売るテロリストを摘発するために村に到着したところテロリストの攻撃を受け、彼らが国軍系政党の関係者の家に火をつけた」と主張している。

topic3

経済が縮小、
細る物流網

① 人口
ティラワ経済特区、滞在人口は7割減

経済特区の域内人口
米オービタル・インサイトの解析ツールを使い日経が分析

最大都市ヤンゴンから車で約40分のティラワ経済特区は、日本の官民の協力で15年に開業した工業団地だ。人工衛星で取得した人流データを政変前(20年12月)と後(22年1月)で比べると、同区内の人の数は約7割減った。工業団地の関係者は「政変前と比べ入居企業の約9割以上が稼働している」というが、多くの工場は生産量を減らしており、勤務している人が減っているとみられる。

② 物流
人の動きも減少

ティラワから出た人の動向
米オービタル・インサイトの解析ツールを使い日経が分析。地図画像提供=Google

米衛星画像解析会社オービタル・インサイトの人流データベースを使って、2020年12月と2021年12月にそれぞれティラワから出た人が2週間以内に立ち寄った場所を点で表した。点の色が赤いほど立ち寄った人が多く、白いと少ないことを示す。
20年には第2の都市マンダレーまで多くの人の流れがあり物品の輸送が活発だったが、21年12月のデータでは人の流れが細っていることがわかる。通貨チャットの下落に伴ってガソリン料金が上昇しているほか、マーケットの需要が減少していることなどが影響していそうだ。

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2021年春のヤンゴン港入港、前年の6割減

ヤンゴン港への国際商船の入港数は減少傾向
(出所)金融情報会社Refinitiv

ヤンゴン港への国際商船の入港数を調べると、クーデター後の3、4月に大きく落ち込んだことが分かる。3月から5月までの3カ月間は前年比63%減だった。職員の「不服従運動(CDM)」で税関などの業務が停滞し、到着した貨物が未処理のまま港湾内に滞留した。その後、商船の入港数は回復したが、前年に比べると少ない。2021年の1年間の入港数は計111隻で、前年と比べて25%少なかった。

寄港前後の航跡
  • ヤンゴン港に入港した商船の寄港地
  • (※寄港回数が多い港ほど赤色が濃い)
Refinitivのデータを基に日経が分析。2020年1月以降にヤンゴンに入港した商船の寄港地を、クーデターの前後それぞれ約1年間分抽出して地図上にプロットした

入港前後の航跡を分析してみる。地図でヤンゴン港に入港した商船の寄港地を赤点で示す。寄港回数が多い港ほど赤色が濃い。中国やインドとの往来が続いている一方、日本や韓国、台湾などとは動きが少なくなっている。

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回復しつつある人流

3時点での人流ヒートマップ
米オービタル・インサイトの解析ツールを使い日経が分析。地図画像提供=Google

米衛星画像解析会社オービタル・インサイトのデータベースから取得したヤンゴン市全域の人流データを空撮写真に重ね合わせた。赤い色は人口密度が小さく、黄、白の順に高くなる。
クーデター前の21年1月、市内の通りでは多くの人が往来していた。抗議デモに対する弾圧が厳しくなった3月末は、人口密度の高い地点が消え、通りから人が姿を消した様子がわかる。
22年1月には人の流れは回復してきたが、クーデター前ほどではない。ただ店内で抗議デモを行った若者に警備員が暴行し、ボイコットの対象となった商業施設「ミャンマープラザ」周辺は人出が回復していない。