世界を変えた握手
ニクソン訪中50年、
協調から対立へ
戦後国際政治の転換点となったリチャード・ニクソン米大統領の中国訪問から2月21日で50年を迎えた。ソ連対抗という共通の目的から手を握った米中だが、米国が期待した中国の民主化は実現せず、共産党一党支配下での経済・軍事大国化だけが進んだ。世界を変えた握手から半世紀。激動の米中関係は協調から対立へと移行し、国際秩序に変容を迫っている。
50年で世界秩序は変わった
米中接近、冷戦の転機に
朝鮮戦争で直接戦火を交えるなど対立関係にあった米中。米国は台湾と軍事同盟を結び支援していたが、泥沼化するベトナム戦争の局面打開に向け、北ベトナムを支える中国との関係改善を目指すようになる。1969年の中ソ国境紛争を機に中国側も米の意向を真剣に検討、ソ連対抗という共通の利害が米中を結びつけた。両国の接近は日中国交正常化、東西のデタント(緊張緩和)などにつながっていった。
購買力平価でみたGDPでは
中国が米国を逆転
物価の違いなどを考慮した購買力平価(PPP)で換算した国内総生産(GDP)で、中国は2021年に推計22兆ドルと、米国(21兆ドル)をすでに逆転し、世界1位の座を占める。08年のリーマン危機を巨額の財政出動で乗り切った中国は国家主導の経済運営に自信を深めた。広域経済圏構想「一帯一路」を通じて欧州やアフリカに進出。最先端技術の国産化にもまい進する。
民主vs強権
米中対立は長期化の様相
名目GDPでの米国超えも視野に入れた中国。国力の低下と国内の分断に直面する米国は中国やロシアの挑戦に断固とした対応をとれずにいる。中国の習近平(シー・ジンピン)指導部による台湾侵攻のシナリオが公然と語られる。米国は台湾や日欧豪印など民主主義陣営の結束に活路を見いだそうとしているが、成否はまだみえない。
ニクソン訪中、
何を話したのか
ニクソン氏は訪中で何を話したのか。「陰の主役」はソ連で、米中ともにソ連の脅威を話し合っていた。最大の焦点は「台湾」だった。会談録からは政治体制や価値観の違いを脇に置き、正常化に取り組む決意がにじむ。ニクソン氏の訪中は約1週間で、毛沢東氏と1回、周恩来氏と5回、高官らを交えた全体会合を2回と、精力的に会談を重ねた。一連の会談の記録は1999年に一部を除き機密解除され、2003年に全文公開された。
「反共主義者」のニクソンと毛沢東が共鳴
ソ連の脅威で一致
台湾からの米軍撤退
政治体制の違いをおいて、正常化を優先
写真で振り返る転換点
1972年
2月
ニクソン大統領が訪中
72年2月21日、ニクソン米大統領は中国を訪問し、毛沢東中国共産党主席や周恩来首相と会談した。49年建国の現代中国を米大統領が訪れるのはこれが初めてだった。訪問最終日の28日に上海で発表された米中共同声明で米国は「中国はただ一つで台湾は中国の一部分」であると主張する中国の立場を「認識」し「異論を唱えない」と表明した。極秘外交の末、ニクソン氏は71年7月に訪中計画を電撃発表。翌月の金とドルの交換停止発表と合わせた2つの「ニクソン・ショック」は世界中に衝撃を与えた。
1978年
12月
中国、改革開放政策
中国の最高実力者だった鄧小平氏は第11期中央委員会第3回全体会議(3中全会)で、文化大革命で崩壊寸前だった経済を立て直すため市場経済を取り入れる「改革開放」に転じる方針を打ち出した。中国が階級闘争路線から決別し、急速な経済発展を遂げるきっかけになった。鄧氏は「先富論」を提唱。米国や日本からの援助や投資、技術移転受け入れがその後の成長を大きく後押しした。
1979年
1月
米中国交正常化、台湾断交
79年1月1日、米中は国交を樹立した。同月、鄧小平氏が中国要人として初めて米国を訪問した。米国は台湾と断交し、駐留軍を引き揚げた。その一方で、自衛力強化の支援をうたう台湾関係法を制定してバランスを取った。
1989年
6月
天安門事件
中国・北京の天安門広場などで多くの学生らが平和的な手段で言論の自由や民主化、汚職追放を訴えて抗議デモを展開したが、武力鎮圧によって多数の死傷者が出た。国際社会から強い非難を浴び、西側諸国の制裁で中国は一時孤立した。事件後、鄧小平氏は「韜光養晦(とうこうようかい、能力を隠して力を蓄える)」の方針を打ち出し、西側諸国と争わず経済建設を進める重要性を説いた。一方、米国は経済面の利益を考慮し関与政策を変えることはなかった。
1989年
12月
冷戦終結
ジョージ・ブッシュ米大統領(第41代)とソ連のミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長が地中海のマルタで冷戦終結を宣言した。90年10月には東西ドイツが再統一、91年12月にはソ連が崩壊した。ロシアやウクライナなどソ連を構成していた15共和国はそれぞれ独立した。米国は91年の湾岸戦争で多国籍軍を率い圧勝、唯一の超大国の立場に酔うが、2000年代に入るとアフガニスタンやイラクでの戦争で国力を消耗していく。
1995年
7月
第3次台湾海峡危機
台湾の李登輝総統が異例の訪米に踏み切り、中国が猛反発した。直後に中国は弾道ミサイルを発射して台湾を威嚇した。米軍は空母2隻を台湾周辺海域に派遣し、中国に挑発行為を停止するよう警告。
米軍の圧倒的な軍事力の前に中国はなすすべがなかった。この屈辱をきっかけに中国は軍事力強化に励むようになったとされ、いまでは空母キラーといわれる中距離弾道ミサイル「DF21」を保有。軍事力は西太平洋で米軍と同等か上回るとの見方が出ている。
2001年
12月
中国、WTOに加盟
中国の世界貿易機関(WTO)加盟は自動車輸入部品などの関税率を大幅に引き下げ、市場主義経済への仲間入りを果たしたと位置づけられた。中国は自由貿易の恩恵を受け「世界の工場」の地位を固めたが、外国企業に技術移転を強制したり、国内参入の障壁を維持したりしていると米欧は批判する。現在、ニクソン訪中以来の米の関与政策は中国の「いいとこ取り」を許し、WTO加盟は認めるべきではなかったとの意見が目立つ。
2018年
3月
米中貿易戦争
トランプ米政権は18年3月、中国による知的財産権の侵害を理由に中国製品へ高関税を課す制裁措置を発表。7月に発動した。中国も米国製品に報復関税を課して対抗。米中貿易戦争は世界経済を揺るがして企業はサプライチェーンの見直しを迫られた。バイデン政権も国内の製造業保護を目的に原則として対中国関税を維持し、米中対立の火種として残っている。
2022年
2月
中ロ首脳が共同声明
北京冬季五輪の開会式に合わせてロシアのウラジーミル・プーチン大統領が訪中し、習近平国家主席と会談した。中国は北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大停止を訴えるロシアの主張を支持。ロシアは台湾独立に反対すると声明に明記し、中国と足並みをそろえた。米欧を軸とする民主主義陣営と中ロを中心とする強権主義陣営に世界が二分する現状を如実に示した。
米中関係と世界を語る
冷戦後の対中関与「戦略的大失策」
米国の過去50年の対中政策は米ソ冷戦時代と1990年前後から2017年のポスト冷戦期、それ以降を区別する必要がある。冷戦時代の米国は中国に関与し、ソ連に対抗する関係を結んだ。非常に理にかなったことだ。冷戦終結後、米国は愚かにも中国の経済成長を助ける「関与政策」を追求した。中国は当然、経済力を軍事力に転換した。
米国は同等の競争相手を創り出す戦略上の大失策を犯した。中国が経済的に強大になると予測しながら、中国もいずれ自由民主主義国となると考えた。米国だけでなく、欧州、日本、台湾、みなが中国を支援しても地政学的脅威にならないと考えた。結局、中国は米国に挑戦することをめざし、新冷戦が始まった。
米中の新冷戦は米ソ冷戦より熱戦に至る可能性が高い。地理的な理由が大きい。米ソ冷戦は欧州が中心で、北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構の衝突が瞬時に核戦争に発展する可能性が高かった。代償が大きい分、米ソ間の抑止力は非常に強固だった。一方、東アジアでは米中が台湾や南・東シナ海を巡って限定的な戦争に至る事態が想定できる。限定的な分、可能性は高まる。
冷戦時代の米ソ戦争の可能性との比較で考えれば、米中戦争の可能性の方が高いという意味だ。海上で核兵器が選択的に使われる事態も想像できる。中国が台湾を統一しようと考えれば米国に対してはるかに優位になるまで待つほうがよいが、今後30年、中国経済がどうなるか知ることは難しい。
米国は欧州とアジアの問題に同時に対処する能力があるものの、双方で同時に良い成果を上げる能力はない。米国は愚かにもロシアを中国側に追い込んだ。 中国に対抗するには米国はロシアと手を結ぶことが自然だ。 NATOを東に拡大したことでアジアに完全に軸足を移せずにいる。
(聞き手はワシントン=大越匡洋)
「連携可能な分野は非常に限られる」
ニクソン米大統領が1972年2月に訪中して以来、連綿と築いてきた中米関係は、トランプ前大統領が2018年に対中政策を変更して大きく変わった。中国に全面的な圧力を加え、孤立させようとするやり方に転換した。
20年3~4月に新型コロナウイルスが世界で広がってからトランプ氏は中国が発生源だとみなすようになった。大統領選で再選できる可能性が低くなるとヒステリックになった。21年1月にバイデン政権が発足してからも基本的にトランプ氏がとった路線を踏襲している。中米関係はほとんどの領域で鋭く対立し、争う関係になってしまった。
いまや連携できる分野は非常に限られる。予測できる範囲において中米関係は全面的な対立の末行きづまり、さらに関係が悪化する可能性が高い。中国も米国と同じように相手国を競争相手とみるのは自然なことだ。一方で中国政府は米国と関係を改善させたいとも繰り返してきた。それなのに中米関係はトランプ氏が台無しにしてしまった。もし関係を改善させるのなら米国が先に誤りをただして中国に譲歩すべきだが、米国政府は当然受け入れないだろう。
今年は中米関係の緊張がさらに高まりやすい構図にある。秋に米国で中間選挙があり、共和党・民主党の候補者はそれぞれ中国を批判して票を獲得しようとするだろう。中国では秋に最高指導部の人事を決める5年に1度の共産党大会があるが、習近平総書記(国家主席)を核心とする政治体制が確立しており、米国の要求に動揺する余地はない。
中米関係の障害はいくつもあるが、台湾問題ほど危険なものはない。将来は中米の軍事衝突に発展するリスクをはらんでいる。いつかはわからないが、戦争になる可能性は5年前や3年前に比べても明らかに高まっている。
(聞き手は北京=羽田野主)
「今後のかく乱要因はロシア」
「ニクソン訪中」で動き出した対中接近は、ソ連の脅威に対抗して勢力均衡を図るという狙いが米側にあった。この点は米ソ冷戦終結まで続く。レーガン政権は中国の経済・軍事力の成長がソ連の行動をけん制する材料になるとみていた。
1989年の天安門事件の直後ですら、米中関係を断絶させるべきでないという声がブッシュ政権(第41代)中枢にあった。もし天安門事件が冷戦終結、ソ連崩壊の後に起こっていたら、民主化運動を踏みにじった中国との関係を米国は見直し始めたかもしれない。
冷戦終結は、平和的な体制変更が自国でも起こりうるとの恐怖を中国側に植え付けた。一方で投資を呼び込むため西側へ窓は開いておきたいとの思惑もあり、中国は警戒しながらも米国とは低姿勢で向き合った。国力増強で自信を深めるにつれ、姿勢が変わっていくのは2010年代に入ってからだ。
中国は軍事、経済、科学技術の各面で米国を猛追する。自信を深めた中国は国力に見合っただけの影響力・発信力を国際社会で発揮しようともしている。そうした中国を見て米国の対中認識、そして戦略の地殻変動が起きた。トランプ政権とバイデン政権も大枠では変わらない。
50年前に米中接近を主導した当事者らは、米国を脅かしうる存在に中国がなるとつゆほども思っていなかっただろう。ニクソン氏は晩年、対中接近で「フランケンシュタインの怪物を作り上げてしまったかもしれない」と語った。
米中両国は当面、経済や技術など各分野で互いへの依存度を減らしていく方向に行かざるを得ない。両国関係の今後でかく乱要因となり得るのは、やはりロシアだ。
ウクライナ再侵攻の可能性はくすぶり続けているが、米国は果たして中国に専念する世界戦略を維持できるのか。米国の保守派からは、中国との競争に専念するためウクライナ問題の打開を欧州主要国に任せるべきだとの議論すら聞かれる。実際にはそれは難しく、バイデン政権の戦略的焦点がぼやける結果になるのかもしれない。
(聞き手は竹内弘文)