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地球を回して解説 北極海航路で変わる世界の大動脈

7月27日早朝、北極海沿岸の液化天然ガス(LNG)拠点サベッタ。つかの間の夏を迎えて小雨降る港から商船三井の砕氷LNG船「ニコライ・ウルバンツェフ」が出港した。針路を東に取り、ユーラシア大陸とアメリカ大陸を分かつベーリング海峡を抜けてアジアに向かう。長い冬の間、北極海を閉ざしてきた氷は解けてなくなり、北極海航路は今年も往来再開に向けて動き出した。
「7つの海」と称される世界の大海の中で、人類がなお攻略できていない海、それが北極海だ。東アジアと欧州を結ぶ最短ルートとして、これまで短い夏の間だけ使われてきた北極海航路。地球温暖化の影響で海氷は年々縮小し、年間を通して利用可能になれば、世界の物流網を塗り替える可能性を秘める。北極圏には豊富な天然資源も眠る。平和利用に向けた国際ルール作りが本格化するなか、主導権を巡って米中ロが駆け引きを繰り広げ始めた。


海氷が閉ざす
"内海"

北極海はなぜ注目を集めるのだろうか。見慣れたメルカトル図法の平面地図では、その理由は見えてこない。北極圏の縮尺は大きくゆがみ、実際の姿とはかけ離れているからだ。ここでは3次元(3D)で地球を回しながら、北極海の重要性を解説する。


温暖化で浮上する代替航路

北極海を東西に結ぶルートが北極海航路だ。長らく開拓が模索されてきたが、氷に閉ざされた厳しい自然環境のため航路利用は調査目的などに限られてきた。それが近年の地球温暖化で海氷が減少し、既存航路を代替する新航路に浮上した。沿岸国のロシアが開発を急ピッチで進めている。

世界の平均気温偏差

世界の平均気温偏差
気象庁

東アジア~欧州の最短航路

北極海航路は東アジアと欧州を結ぶ最短の海上ルートになる。スエズ運河経由に比べて30~40%短く、燃料を節約して環境負荷を軽減できる。海賊の襲来がなく、政治的に不安定な中東を通らないのも航行しやすさにつながっている。弱点はコストだ。ロシアの砕氷船に先導を依頼したり、特殊仕様の船舶を建造したりと追加費用がかかる。沿岸の港湾整備も、航行の安全確保には欠かせない。


北緯66度33分、その北

北極線と呼ばれる北緯66度33分の北側が北極圏だ。北極点付近は冬場に-50℃まで冷え込み、夏場でも0℃前後にとどまる。地球の自転軸が23.4度傾いているため、北極点では6カ月間は太陽がのぼり続ける白夜、残りの6カ月間は太陽が見えない極夜になる。

北極圏と日本の位置


凍てつく海 ほぼ全域が氷下に

北極圏の大部分は海で、広大な大陸がある南極とは様相が大きく異なる。見渡す限り氷に覆われ、冬場には北極海のほぼ全域が氷に閉ざされる。海氷の平均面積は日本海の約15倍に達する。


内海化する北極海

一般的な平面地図では遠く離れて見えるが、北極点を中心にすると、北極海は米国やロシアが向かい合う「内海」になる。海氷の縮小により、新たな「隣国」関係が生まれつつある。米国のトランプ元大統領が買収を持ちかけて話題となったデンマーク領グリーンランドの存在感も一層際立つ。


縮む海氷
広がる航路

北極海の海氷が解けている。地球温暖化が進めば進むほど、北極海の利用が進む。

夏は約4分の1に
伸縮する海氷

海氷は8~9月に最小となる

注)各月1日のデータ 出典)ウェザーニュース

北極海の氷は季節で大きく変動する。海氷の面積は冬場に約1500万km²まで拡大したのち、夏場の8~9月には約4分の1程度まで縮小する。

40年で半分に

海氷面積は縮小傾向が続く

出典:Arctic Data archive System

地球温暖化の影響で海氷面積は縮小傾向にあり、2020年の最小面積は355万km²と、2012年に次いで過去2番目に小さかった。最小面積は年1.6%のペースで縮小を続け、2020年は1979年の半分まで縮んだ。このペースが続けば、2030年頃に300万km²を下回ることになる。

開通期間は88日間
過去最長に

北極海航路の開通期間

2020年は北極海で海氷の融解が例年よりも早く進んだ。ウェザーニューズによると8月2日には過去最速で海氷域に入ることなく北極海航路の航行が可能になり、開通状態は10月28日まで続いた。88日間の開通期間は過去最長。今後も地球温暖化が進むことで、北極海航路の活用が加速するとみられる。

横浜からたどる
北極海航路

商船三井が2018年に就航させた砕氷LNG船「ウラジミール・ルサノフ」。日本の海運会社が所有・運航する初めての砕氷LNG船で、全長299m、幅50m、LNGを17万2000m²積める(約30万世帯分の年間消費量に相当)。同船の航跡を参考に、横浜からLNG採掘基地があるヤマル半島まで、13日間の航海をたどってみる。

1日目 横浜を出港

砕氷LNG船「ウラジミール・ルサノフ」
(商船三井提供)

真夏日が続く横浜。船体を特別補強した砕氷船に、国際標準の特殊訓練を受けた乗組員が乗り込んだ。東京湾を出て、北に向かう。

4日目 カムチャツカ沖を北上

トルコで操業中の浮体式LNG設備(写真左)
(商船三井提供)

ロシア・カムチャツカ半島では商船三井やロシアのノバテク社がFSU(浮体式LNG貯蔵設備)の建造を進めている。北極圏で採掘したLNGを砕氷船で運び込み、在来型のLNG船に積み替える拠点だ。

7日目 いざ北極海へ

衛星から見たベーリング海峡
(NASA提供)

米国とロシアを隔てるベーリング海峡が北極海への入り口になる。東西の最長部が2万km近い太平洋は、ここで100km未満まで極まる。冬季は一面が海氷で埋まる。船はいよいよ、北極海に繰り出す。

9日目 ラプテフ海を西進

ウラジミール・ルサノフから見た北極海
(商船三井提供)

ロシア沿岸を横目に西へ進む。気温は10~20℃が多いが、風が吹くと体感温度は10℃以下まで下がってひんやりする。ほぼ1日を通して日が昇り続けている。

13日目 「最果ての地」到着

サベッタ港に停泊するLNG舶
(ノバテク提供)

横浜出港から13日目。LNG生産基地があるヤマル半島のサベッタ港が見えてきた。「ヤマル」とは現地ネネツ語で「最果ての地」を意味する。LNGを積み終え、船は次の目的地へ出発する。

北上する国際物流
米中ロが攻防

北極海航路の重要性はにわかに高まっている。3月にエジプトのスエズ運河で起きたコンテナ船座礁事故は一極集中する輸送網のリスクを浮き彫りにし、混乱を商機と見たロシアは世界に魅力をアピールする。中国も「氷上のシルクロード」と位置づけて触手を伸ばし、中ロの影響力拡大に米国は警戒を強めている。北上する国際物流網を巡る大国間の攻防が一段と激しくなりそうだ。

スエズ運河事故で注目

ロイター

スエズ運河で起きたコンテナ船座礁事故では6日間にわたって欧州とアジアを結ぶ要衝が遮断され、400隻以上が一時滞留した。紅海と地中海を結ぶスエズ運河を迂回するには、これまでアフリカ大陸南端の喜望峰を経由する遠回りルートしかなかったが、北極海航路は新たな選択肢を提供する。「アジアの主要国は北極海航路をスエズ運河に代わる輸送回廊とみている」。ロシアのチェクンコフ極東・北極圏発展相は国を挙げて利用拡大をアピールする。

北極圏開発でロシア先行

北極海航路の総貨物量

(注)ロシア政府統計などを基に作成

北極海の輸送量はロシアの液化天然ガス(LNG)基地の建設や稼働をテコに2015年ごろから急増した。2020年の総貨物量は約3300万トンと10年前の約15倍に達した。ロシアは輸送量を2024年に現在の2.4倍の8000万トンに引き上げる目標を掲げる。シーレーン(海上交通路)の確立で主導権を握ろうと先手を打つ。 排他的経済水域(EEZ)の外側の海底を自国の大陸棚として認めるように国連に申請し、航行する船に事前申告を求めるなど規制を強めている。

中国も権益に強い関心

ノバテク提供

「北極近接国」として北極海に面していない中国も権益獲得に乗り出している。ロシアの北極圏初のLNG基地「ヤマルLNG」には中国勢が3割を出資し、欧米による対ロ制裁下での大規模開発を支えた。2021年3月の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で採択した5カ年計画では北極圏開発への関与を明記した。北極観測の試験衛星の打ち上げや原子力砕氷船の建造を計画し、世界屈指のレアアース(希土類)鉱床があるデンマーク領グリーンランドへの投資も探る。

商業化に課題も

ロシアの原子力砕氷船 (アトムフロート提供)

北極海航路の商業化にはなお課題が残る。現在はLNG輸送が中心で、沿岸に人口集中地が乏しいため、中継地向けの貨物需要は見込みにくい。専用船の建造費や傭船費も割高だ。海氷の状況が読み切れないことも、通年の定時運航のハードルとなる。石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の原田大輔氏は「航路の経済性は気象条件やアジア市場のLNG価格などに左右される」と指摘する。ロシアは極東カムチャツカ半島に建設中のLNG積み替え基地の使用を2023年に開始する計画で、輸送効率の向上を急いでいる。

鉄道網活用も探る

新型コロナウイルスの流行を背景に船舶や航空の貨物輸送が滞り、旧ソ連時代に活用されたシベリア鉄道(極東ウラジオストク―モスクワ間、約9300㎞)も欧亜を結ぶ物流網として再び注目されている。東洋トランス(東京・中央)は1月、同鉄道を使った欧州向けの混載輸送を始めた。カザフスタンやロシアを経由して中国と欧州を結ぶ貨物列車「中欧班列」も輸送本数を伸ばし、2020年は過去最多を記録した。船舶より輸送期間が短く航空便より運賃が安いため、世界で広がる「脱炭素」の流れを追い風に新たな選択肢として検討が進む。

日本のエネルギー安保にも直結

日本のLNG輸入量

北極圏の資源開発は日本も無関心ではいられない。日本は原油輸入の約9割を中東に頼る。天然ガスの活用はエネルギー安全保障の観点でも重要で「北極圏からのLNG輸入は国益上の意義も大きい」と商船三井の浜崎和也執行役員は話す。同社は新たな砕氷LNG船3隻の建造に計1000億円規模を投じる。竣工は2023年以降の計画で、北極圏産出のLNG輸送に経営資源を振り向ける。