ZOOM:TPP 8億人経済圏の素顔

せめぎ合う 
薬格差と開発 

 巨額の研究開発費がかかる医薬品。特にバイオ医薬品は1つ生み出すのに数千億円が必要ともいわれる。環太平洋経済連携協定(TPP)交渉では「データ保護期間」と呼ばれる先発薬メーカーが販売を独占できる期間について、開発力で優位に立つ米国が12年を要求した。一方、医療費を抑えたいオーストラリアや途上国は5年が適切だと主張し争点となった。最終的には「最低8年」で決着。新薬開発に力を注ぐ日本企業や、後発薬が普及するマレーシアの医療の現場を追った。

スクロール

生物資源 海に探る

 生き物の中には人知を超えた「宝」を持つものがいる。ゴルフ場の土にいた微生物が熱帯病の特効薬になり、アフリカで多くの人命を救った。見つけたのは大村智・北里大特別栄誉教授だ。この功績で昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 生物資源の探索は海洋にも広がっている。日本の海域には世界中の海洋生物の約15%が生息するという。生物の多様性がもたらす資源の宝庫だ。沖縄県うるま市のバイオベンチャー企業「オーピーバイオファクトリー」は、海中の生物を採取して、体内にいる微生物などから新薬に生かせる成分がないか調査している。国内外の製薬企業のニーズに応えるため、生物や微生物、カビなどのサンプルを凍結保存し「ライブラリー」として6万点以上備える。

 同社は大学などの研究機関や全国の漁師とも連携し、日本中の生物資源の収集に力を入れる。2013年には鹿児島県の加計呂麻島にすむ微生物から抗真菌作用がある新物質を発見した。金本昭彦社長は「TPPが発効したら創薬の競争は激しくなるだろう。弊社のライブラリーを使えば研究コストが減らせる」とアピールする。今後は中分子医薬品と呼ばれる分野にも力を入れる計画だ。

薬生む細胞 巨大ゆりかごが育む

 がんやリウマチなど、治療が難しい病気に効果があるバイオ医薬品。製薬各社が相次いで開発を強化している。製法は化学合成でつくる薬と異なり、遺伝子組み替え技術で生み出した特殊な細胞が薬の成分をつくる。大量に培養する巨大な施設が必要で、酸素濃度や養分の量などを厳密に管理する。そのためバイオ医薬品を生産できる国はほぼ欧米と日本に限られている。

 無数のパイプが並ぶ中外製薬工業の宇都宮工場(宇都宮市)。1万リットルの培養タンクの中で育つのは、リウマチの治療薬の基になる細胞たちだ。24時間稼働で1カ月かけて培養し、薬の成分を抽出する。製品化した医薬品「アクテムラ」の売上高は国内外で1000億円。中外製薬の久保庭均上席執行役員は「新薬が完成するかは賭けのようなもの。独占販売できる期間が短くなると資金が回収できず、新薬が生まれにくくなる」と話す。

 日本でのデータ保護期間にあたる、新規医薬品の再審査期間もTPPの合意と同じ8年。製薬メーカーはとりあえず胸をなでおろした格好だ。日本製薬工業協会の担当者は「発展途上国は5年を主張した。現地は後発薬の発売が遅れ、医療費が高騰するかもしれない」と指摘する。

バイオ医薬品を生産する培養タンクが並ぶ中外製薬工業の宇都宮工場(宇都宮市)

バイオ医薬品を生産する培養タンクが並ぶ中外製薬工業の宇都宮工場(宇都宮市)

混み合うマレーシアの政府系病院で、診察を待つ人たち(クアラルンプール)混み合うマレーシアの政府系病院で、診察を待つ人たち(クアラルンプール)

 多民族が共存するマレーシア。国内で使われる7割が価格の安い後発薬だ。政府系病院の受診料は1リンギ(約27円)と格安なため、首都のクアラルンプール病院には毎日3000人を超す外来患者が押し寄せる。子供と3時間待っているというアディバー・スディンさん(39)は「先発薬だろうが後発薬だろうが気にしない。薬も診療費も安いからみんなここに来る。毎回待ち時間ばかり長い」とあきらめ顔だ。

庶民の頼りは後発薬

 マレーシア製薬協会の執行役員は、先発薬のマーケットが広がらない状況を嘆く。「安い後発薬でないと、政府は今の医療態勢を持続できない。先発薬あっての後発薬なのだが」。また「医師は多くいても、質は決して高くはない」と打ち明ける。背景には特殊な制度があるようだ。民間病院で働く医師によれば「医学部を卒業したら全員、4年間は政府系病院で働かなければならない」と言う。そこでは膨大な患者の診察に追われ、投薬など新しい知識を身につけるのもままならない。専門医になるにはさらに3年間大学院に行く必要があるという。この国で後発薬が広く普及する背景は複雑だ。

マレーシアの政府系病院で診察を待つ人たち(クアラルンプール)

マレーシアの政府系病院で診察を待つ人たち(クアラルンプール)

医療受ける第3の道

 安いが長時間待たされる政府系病院、行列は無いが高額な民間病院――。それ以外にマレーシア人がよく利用するのがドラッグストアだ。天井まで商品がびっしり積み上がった狭い店を、ひっきりなしに人が訪れる。一般医薬品のほか処方箋が必要な薬も販売している。客に頼まれて処方箋なしでこっそり売る店もあるという。

 富裕層が多く住む地域の薬局では、価格の高い先発薬の取り扱いが多い。薬局のオーナーは「出店エリアによって品ぞろえが異なる」と話す。高血圧の治療に使う「コザール」は70リンギ(約1950円)で後発薬の4倍の値段だ。原油価格の低迷で現地通貨が下がり、これらの輸入医薬品は2割程度値上がりしているものの売り上げは安定しているという。所得に余裕がある人たちのニーズは高い。

市内のドラッグストアでは、一般医薬品のほか医療医薬品も販売している(クアラルンプール)

ドラッグストアで薬を処方するスタッフ(クアラルンプール)

上:市内のドラッグストアでは、一般医薬品のほか医療医薬品も販売している(クアラルンプール)

下:ドラッグストアで薬を処方するスタッフ(クアラルンプール)

写真・文
小林健、寺澤将幸
制作
鎌田健一郎、安田翔平

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