新産業創世記

医療・エネルギー・食料 それぞれの「効率革命」

 人体の設計図であるヒトゲノム(人間の全遺伝情報)。完全解読されたのは2003年。米国と英国、日本を中心とする国際プロジェクトとして進められ、約13年の歳月と3000億円の資金をつぎ込んだ。米国立ヒトゲノム研究所が公表する1人当たりの解析コストをたどると、2001年に9526万ドル(114億円)だったのが15年に1363ドルと、約7万分の1になった。半導体の飛躍的な技術進歩を示した「ムーアの法則」の一段上のスピードで低下したことになる。新たな解析手法が日進月歩で生み出され続けるほか、シーケンサー(遺伝子解析装置)や高度な情報処理技術の進化が後押しする。

ムーアの法則しのぐ ゲノム解析「7万分の1」

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 医療研究機関や製薬会社、創薬ベンチャーがヒトゲノムを活用して成果を出すほか、ここ数年で低価格の個人向け解析サービスが登場している。「ものすごいスピード感でコストが下がり、ベンチャーが活躍できるステージが広がる」。高橋祥子(27)は2013年6月にジーンクエスト(東京・品川)を起業。1万4800円から解析サービスを手がける。

低コスト化の先にビッグデータの商機

 ゲノム解析のハードルはさらに下がり、2025年には100ドルのコストで、たった1時間でこなせるようになるといわれる。次世代型のシーケンサーを開発するクオンタムバイオシステムズ(東京・中央)はその先端をひた走る。わずかな電流を流して情報を読み取る技術で、微細加工を施す半導体チップを使うことで低コスト、小型化につなげる。現在、主流の解析装置は数千万円から数億円が相場だが、同社は2017年をめどに100万円程度の装置を販売する。「夢の原理ではない」。社長の本蔵俊彦(41)は胸を張る。

 本蔵が見つめるのは、さらにその先だ。「解析コストは限りなくゼロに近づき、膨大なデータがはき出されるようになる」。すでに蓄積された遺伝子データだけでも、米グーグルや米フェイスブックなどインターネット界の巨人が手にするデータ量に匹敵するとの見方がある。人だけではない。微生物、動物すべてが対象になる。

 基礎医療の域にとどまらない。テーラーメード医療は個人の体質にあった治療だが、テーラーメード食品、テーラーメード化粧品、バイオ燃料、農業などへの応用が期待される。遺伝子のビッグデータを分析したうえで、商品開発や販促策での高度なマーケティングを実現させるアイデアがあり、米国では事業化の動きもある。ゲノム解析を起点にする経済効果はグローバルで年間200兆円規模になるという試算がある。

遺伝子「編集」で難病治療・品種改良…

 次世代の遺伝子操作技術として注目される「ゲノム編集」。遺伝子の狙った場所をピンポイントで削除したり、別の遺伝子に置き換えたりする。難病の治療や実験動物の製作に加え、植物、微生物の改良などに使えると期待される。

 遺伝子は生命の設計図で、基本的な構造は一生涯変わらない。実体はDNA(デオキシリボ核酸)で2本の長い糸になっており、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種類の塩基が対になったかたちで、細胞の染色体のなかに入っている。

「カット・アンド・ペースト」で遺伝子を改変する

 ゲノム編集は1990年代に登場し、遺伝子の配列を操作できるようになった。2013年はじめに「CRISPER/Cas9(クリスパー・キャス)」と呼ぶ手法が開発され、高効率で低コストな技術として広がっていった。

 ゲノム編集は、塩基の配列を切ったり貼ったりする。まず遺伝子操作したい部分を解析して狙いを定める。狙った部分にくっつき切断する特殊な酵素が「はさみ」のように働く。塩基を切り外してそのまま修復させるほか、他の塩基配列を入れるなどのやり方がある。

 例えば、特定の遺伝子が欠損する先天性の病気の治療については、正常な遺伝子を導入する治療が想定される。ウイルスや細菌による感染症であれば、感染の理由となる細胞そのものをはじめから壊しておけば発症を防げる。農作物や家畜では品種改良によって収穫を増やすだけでなく、栄養分を高めるのにも役立つ。

 国内初となるゲノム編集ベンチャー、エディットフォース(福岡市)を立ち上げた九州大学の准教授、中村崇裕(43)は「生物研究では最も上位にある基幹技術だ」と話す。ただ技術進化のスピードが早すぎ、倫理上や安全性に対する議論や検証が追いついていない。今年4月、中国の研究者が人間の受精卵の遺伝情報をゲノム編集で改変することを試したと発表した。米政府が「将来世代への影響が不透明で、現時点では越えてはいけない一線」と反対する声明を出した。

近づく「コンセントフリー」の生活

 エネルギーを賢く使うため、日本で進歩を遂げた技術が実用化に近づく。ワイヤレス給電だ。スマートフォンを衣類のポケットに入れたまま充電できるほか、カフェではどの座席でも電源切れを気にせずパソコンを使えるようになる。

 東京・本郷にある東京大学大学院キャンパスの研究室で、マジックのような実験が繰り広げられる。宙に浮かせた小型扇風機や発光ダイオード(LED)ランプを作動させるデモンストレーションに、今すぐにでも生活で使える身近さを感じる。

 「2~3年後には狙った場所に電気を送れるようにもなる」。東大大学院准教授の川原圭博(38)は説明する。「磁気共鳴」と呼ぶ送電技術を使う。音叉(おんさ)の共鳴現象と基本的に似た仕組みで、電流を流して発生した磁場の振動を離れた装置に伝える。米マサチューセッツ工科大学で2006年に理論が提唱され、日本の研究者やエレクトロニクス業界の関係者が原理を解き明かし、実用化に道筋をつけた。日本勢が世界の一歩先を行く。

 龍谷大学発ベンチャーのリューテック(大津市)では水中でも制御できるワイヤレス給電の仕組みを研究する。社長の粟井郁雄(74)は、「カプセル内視鏡に応用すれば、思い通りに動かし高精細画像を撮るなど医療の可能性が広がる」と意気込む。

 東大大学院の実験室では直径30センチ、厚さ5センチの発泡スチロールをコイルにして、4~5個を飛び石伝いしてエネルギーを送る実験も試す。この仕組みを部屋の壁や床に取り入れれば、コンセントに縛られずに済み「充電という行為を意識しない日がくる」(川原)。新たな商品やサービスを生み出す可能性がある。

最高峰の省エネスパコン、5年で計算能力10倍に

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 スーパーコンピューターの省エネ性能を競う「Green500」の最新版が11月に発表され、日本のベンチャー企業、ペジーコンピューティング(東京・千代田)などが開発した「菖蒲」がトップに輝いた。計算能力を示す数値は、1ワット当たり7031メガ(メガは100万)フロップス(1秒当たりの浮動小数点演算回数)だった。Green500では日本勢の活躍が目覚ましい。14年はNECや東京工業大学などが開発した「TSUBAME-KFC」が首位で、4389メガフロップス。菖蒲はTSUBAME-KFCの1.6倍の計算能力を持ち、5年前のトップのスパコンと比べるとほぼ10倍の性能を誇る。

 一方、単純に計算能力だけを競うスパコンは、エネルギー消費がすさまじい。2011年に理化学研究所で稼働した「京」は消費電力が1万2659キロワットで、一般家庭の約3万世帯分に相当する。菖蒲は8月時点で50キロワットと桁違いに少ない。1ワット当たりの計算能力を比べると菖蒲は京の8.5倍になる。

 コンピューターの能力が人間を超えるとされる特異点(シンギュラリティ)は不可能――。人工知能(AI)などの技術進歩にかかわらず、シンギュラリティ懐疑論の論拠になっているのがエネルギー問題だ。日本では現在、京の最大100倍の性能の高速マシンプロジェクトが進む。ただ消費電力も単純に100倍になれば、1基分の発電所が必要になる。「エネルギーの問題を解かねば先に進めない」。ペジーコンピューティング社長の斉藤元章(47)が話すように、スパコン業界での省エネ性能が新たな競争軸になりつつある。

食用コオロギ 大量飼育の現場に潜入

 1970年代まで製鉄の街として栄えた米中西部オハイオ州ヤングスタウン。廃れた倉庫の中で新たなビジネスが立ち上がる。倉庫内には棚、通気ダクト、冷凍設備など手作り感がある機材が並ぶ。実験室のような雰囲気が漂うこの倉庫から出荷されるのは、食用のコオロギだ。

約6週間で成虫になるコオロギは生産効率が高い

 ビッグ・クリケット・ファームズは2014年に設立。「都市型農場」と名づけ、フル操業時には約400万匹コオロギを大量生産する。飼育用の専用箱に敷きつめられているのは紙製の卵のパック。隙間に水やエサが置かれており、2センチ前後の成虫が元気よく動き回る。卵から約6週間で出荷できる大きさになり、温度を下げ「休眠状態」にして収穫する。

 生産効率を高めるために、オスとメスの比率、湿度、温度、エサなど様々な飼育条件を試す。今後は専用棚にセンサーを設置したうえで、より詳細なデータを集める。最新の野菜工場のような仕組みをつくりあげ、コオロギを安定供給できる体制をめざす。

 実際の味はどうなのか。地元のバーでコオロギグルメを堪能できる。ホットドッグにトッピングされた素揚げを食べてみたところ、サクラエビのような舌触りだった。味はナッツに近く、海産物を発酵させた独特のクセがある香りが残った。

 最高経営責任者(CEO)のケビン・バシュバーは「数年内に大手食品メーカーが商品化するのはほぼ確実」と説明する。すでに興味を示しテストを進める国内企業があるほか、食糧難への対策をにらみウガンダ、タンザニア、ナイジェリアなどアフリカ諸国から問い合わせがあるという。コオロギが食材として評価されれば、うまみがあるビジネスになりそうだ。

こんなに違う 牛とコオロギの飼育コスト

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 2050年に地球の人口は現在より3割増の90億人に達する見通しで、グローバルの食料需要は2000年から約1.6倍の70億トンに膨らむとされる。アジア、アフリカなど新興国で肉食化も進む。中国は1985年に1人当たりの肉の年間消費量が19キログラムだったが、10年に58キログラムとほぼ3倍になった。食料不足を懸念されるなか、少ない飼料で効率よく育てられる代替食品がここにきて注目される。

 国連食糧農業機関(FAO)も「高い栄養価を持つ健康的な食糧源」と注目する昆虫。例えばコオロギは栄養分を豊富に含むうえ、家畜と比べてはるかに飼育コストがかからない。牛肉100グラムをつくりだすには、約1キログラムの飼料、約1500リットルの水が必要になる。同じ量のコオロギを育てる場合、飼料は10分の1の約100グラム、水は1500分の1の約1リットルで済む。

 肉牛は飼育するのに最低でも数年かかるが、コオロギは2カ月もあれば成虫になる。口蹄疫やBSE(牛海綿状脳症)といったウイルスによる影響も薄まる。豚や鶏、穀物と比べても効率よく育てられる。屋内飼育も可能なため、欧米のハイテク企業が参入して研究開発が活発になりつつある。

 昆虫だけではない。ベンチャーのハンプトン・クリーク(米サンフランシスコ)は豆などの植物性たんぱく質を転用する「植物卵」を開発する。鶏卵を使わないマヨネーズやクッキーを米国ですでに販売するほか、ドレッシングやパスタなどにも商品群を広げる。(敬称略)

取材・制作髙田倫志、深尾幸生、新井惇太郎、岩井淳哉、中藤玲、兼松雄一郎、蛯谷敏、河本浩、清水明

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