悲劇から30年余、

チェルノブイリの実相

1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故から30年あまり。いまだに姿を残す4号機や廃虚の街、人々を取材した。

30秒でわかるVisual Data

2019年11月20日 要約版公開 2016年4月26日 本編公開

4号機のいま

爆発事故で原子炉建屋の上部や一部の側面が吹き飛んだチェルノブイリ原発4号機。この4号機をアーチ型のシェルターで覆う計画が進められた。

捨てられた街

チェルノブイリ原発から5キロメートル圏内の「プリピャチ」。事故前には約5万人の住民がいたが、原発事故で誰も戻れぬ街になってしまった。ウクライナ政府に住民を帰還させる計画はない。

戻ってきた人々

チェルノブイリ原発から半径30キロメートル圏内は立ち入り禁止区域だが、自身の判断で戻ってきた住民もいる。「サマショール」と呼び、約160人が暮らす。

消えない傷跡

事故後しばらくしてから甲状腺がんと診断される患者がいる。がんの発症は個人差があり、今なおリスクを抱えながら生きている人もいる。

また、ベラルーシでは事故4~5年後から子どもの甲状腺がんが増加。原因は明らかになっていない。

福島へのメッセージ

チェルノブイリ原発事故と福島第1原発事故は、国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻な「レベル7」に分類される。

廃炉への道筋、健康への不安など、抱える問題点は共通する。日本とウクライナの協力関係に期待する声は多い。