心を突く
金色の演武を
東京五輪空手・形
畳の上にはたった一人。だがひとたび試合が始まると、まるで何人もの敵と対峙しているかのように矢継ぎ早に宙を突き、蹴る。東京五輪で新競技に採用される空手形は、仮想敵との対戦で用いる技を一連の流れの中で単独で演じる武道だ。
初代女王の有力候補の一人が清水希容(ミキハウス)。空気を一瞬で切り裂くようなスピードと気迫で世界を圧倒し続けている。「人の心に響くような演武を」と腕を鳴らす第一人者は、東京でどんな表情を見せてくれるだろうか。
Game
日本の伝統芸、
東京五輪から
正式競技に
全102種類。
一度使った形は二度と同じ試合で使用できない厳しさも
琉球王朝時代の沖縄で生まれた空手。1920年代に日本全国に伝わるとその後世界へと広まった。現在は194の国・地域で行われ、愛好者数は1億3千万人以上とワールドワイドな競技へと成長。2020年東京五輪で新競技として採用される。種目は大きくわけて「組手」と「形」の2つ。形は仮想の敵の動きに対する攻撃技と防御技を一連の流れとして組み合わせて演武し、審判による採点方式で勝敗が決まる。
上記形の例:チャタンヤラクーサンクー
演武する形は世界空手連盟(WKF)が認定する102種類から選択。畳の上で技の名前を叫んでから披露する。一度行った形は二度と同じ試合で使えないため、選手は予選から決勝まで戦い抜くための4種類の形を備えておく必要がある。男子形世界ランキング1位の喜友名諒(劉衛流龍鳳会)の大技「アーナンダイ」のように各選手は得意技を持っており、どの試合のタイミングで繰り出すかといった駆け引きも重要だ。
四方八方を襲う
仮想敵を常に想定
敵と対峙する表情や声にも注目
形を演武する上で最も重要なのは「技の意味を細部まで理解すること」(元全日本女王の宇佐美里香さん)。技の正確さ、突きや蹴りのパワーやスピードを身につけるのはもちろん、全ての技を美しい流れの中で正しい解釈で行う必要がある。練習方法は選手によってそれぞれ異なるが、宇佐美さんの場合、「1つ1つ技を分解して練習し、それぞれがどういう意味なのかを理解して」体に染み込ませ、全体の演武へとつなげていたという。
一見1人でパフォーマンスしているように見えるが、実際は練習の時から四方八方から襲う仮想敵との戦いを想定している。全身の隅々まで力をコントロールして技の強弱、緩急を操り、敵の距離を想定して視線を動かしながら鋭い眼光で周囲をにらみつける。喜友名は2018年の全日本選手権決勝後に「最初の掌底(しょうてい)一発で勝負を決めてやろうと思って打った」とも話した。スポーツかつ「演」じる武道。技を決めた瞬間の鬼気迫る表情や、会場中に響き渡る雄たけびは圧巻だ。
魅力アップへ
2019年から
新ルール採用
旗判定から採点制へ。
技術点と競技点の合計で競い合う
2018年11月、WKFは形種目において19年1月から審判員7人による採点制へ移行することを発表した。これまで使われてきたのは5人の審判員が旗を上げて勝者を決める旗判定。だが、新競技として採用される東京五輪では空手にあまり触れていない一般客も多く観戦することを考慮し、数年かけて採点制の導入が進められてきた。
採点制では立ち方、技、正確な呼吸法などを評価する「技術点」と、演武の力強さやスピードなどを評価する「競技点」を5.0点~10.0点の間で採点。中間の3人分の点をそれぞれ合計し、技術点を70%、競技点を30%で換算して算出する。
採用後、大きな混乱こそないが、清水によれば「1つの大会の中でもコートごとに(審査員が異なるため)採点が大きく変わる。トーナメントを勝ち上がるためには別のコートの相手よりも高い点数を出さなきゃいけない」。新方式ならではの戦いの難しさもあるようだ。
Player
清水希容 しみず・きよう
空手女子形日本代表。1993年12月7日生まれ、大阪府出身。兄の影響で小学3年生で競技を始める。東大阪大学敬愛高等学校、関西大学を卒業し、2016年にミキハウス入社。
主なタイトルは世界選手権優勝(14年、16年)、アジア大会優勝(14年、18年)など。全日本空手道選手権は13年に史上最年少の20歳で制し、19年まで7連覇。世界ランキング2位。160センチ、56キロ。
オリンピック
初代女王へ、
得意技で挑む
糸東流で最も
難易度の高い勝負形
「チャタンヤラクーサンクー」とは
清水が所属するのは「糸東流」。空手の四大流派の1つで、速さや技のキレが特徴。突き技や蹴り技、投げ技など多くの総合技術が盛り込まれている。「スーパーリンペイ」、「チバナノクーサンクー」など清水が得意とする形はいくつもあるが、世界選手権決勝など勝負所で必ず使用する勝負形が、糸東流で最も難易度が高いとされる大技「チャタンヤラクーサンクー(北谷屋良公相君)」だ。
手技の数が多く、低い姿勢から高い姿勢へ瞬時に移る上下運動や回転運動による方向転換も随所にあるため、常にスピードが求められる形。演武時間3分の中で、疲れのたまる後半になってもとめどなく回転が続くことから、スピードとパワーを落とさず演じ抜くフィジカルの強さも重要となる。18年の世界選手権決勝でもこの形を使っている。
スピードと体幹の強さが武器
人の心に訴えかける演武で観客を魅了する
どっしりした腰構えに、しゃんと伸びた背筋。美しい姿勢で息つく間もなく技を次々と繰り出しながら畳の上で跳動する。世界のトップを走り続ける清水の強さは、そのスピードと体幹の強さにある。宇佐美さんによれば「しっかりと足腰を使って上半身、腕などに技を伝えているので、スピード感と力強さがある」。本来、頭が少しでも動くと肩が上がってくるなど動作に支障が出るが、清水は強固な下半身で最後まで同じ高さ、姿勢を保つことで、無駄な動きをそぎ落としている。
トップ選手の中でも群を抜いた集中力を持つゆえ、時に「自分を分析しすぎて冷静になってしまう時がある」という課題も。ただ、本来の持ち味である闘志を前面に押し出した時は、160センチの体から発しているとはとても想像できないような力強いパフォーマンスで会場全体の空気を支配する。遠く離れた観客まで直接訴えかけるような、人の心に響く演武も彼女ならではの魅力の1つだろう。
五輪金へ
立ちふさがる
ベテラン
世界選手権では
僅差で清水に勝利。
パワーで世界を圧倒するスペインのエース
長らく絶対女王として世界トップに君臨してきた清水。だが、ここ最近は1981年生まれのベテラン、サンドラ・サンチェス(スペイン)が壁となってその前に立ちふさがる。18年11月の世界選手権決勝で3―2の僅差で敗れ、2014年からの大会3連覇を逃すと、五輪延期前最後の対決となった20年1月のプレミアリーグ・パリ大会でも敗れた。世界ランキングもサンチェスに抜かれて2位にとどまっている。
技術的なレベルはほとんど変わらない中で、サンチェスと清水の差を分けているのがパワーだ。身長こそ153センチと小柄だが、胴着の上からでも分かるような筋骨隆々の体を持ち、なおかつ「日本人では不可能な、力を入れながらもスピードを出した演武ができる」(宇佐美さん)。サンチェスに苦杯をなめた試合では1つ1つの突きの強さに差が現れているという。女王の座を取り戻すには得意のスピードをさらに磨く必要があるが、全日本空手道連盟の関係者は「もう少し筋力をつけてパワーで対抗する必要があるかもしれない」とも指摘する。
王座奪還への
秘策は
「新呼吸法」
勝敗を分けた呼吸音。
技に合った自然な息吹を身につける
3連覇を逃した18年11月の世界選手権後、清水は敗因を分析し、ある答えにたどり着いた。「技にあってない呼吸によって技の力を弱めたり、スピードを落としたりしていた。本来の強さを出せてなかった」
肩で呼吸するなど疲れた様子を少しでも見せれば、敵につけこまれる。形の評価基準には「呼吸」が含まれており、原則として音を出してはいけない。ただ、清水の場合は「高い呼吸音が出て減点につながっていた」。演武終盤、体がきつくなる場面で息吹で引っぱる癖も散見された。女王の座を取り戻すため、呼吸法の改良に着手した。
必ずしも肺活量を増やせばいいというわけではなく、あくまで技に合わせてスムーズに息を吸い、吐く必要がある。19年6月のプレミアリーグ上海大会では呼吸について審査員から指摘されるなど、習得にはまだ苦戦中だ。「音を出してはいけないと思うと、技がつまり、力んでしまうことがある」。それでも「五輪前に気づけて良かった。呼吸分の減点を直した上で、東京では私本来の技術を見てもらえるようにしたい」と前向きに取り組んでいる。
追われる立場から追う立場へ。だが、清水は決して悲観的にとらえていない。「負けの重みを無駄にしたくない。強さに変えて東京五輪へ向かいたい」。新型コロナウイルスの影響でこの1年は国際大会から遠ざかっているが、ライバルに雪辱を果たす日を思い浮かべながら、孤独な戦いを続けている。全ての力を解き放ち、最高の笑顔で終えるために。