「お家芸」の
誇りをかけて
東京五輪水泳・200m平泳ぎ
1920年アントワープ五輪で日本が初めて競泳に参加してから100年。これまでメダルを量産してきた競泳ニッポンにとって、平泳ぎは特別な種目だ。五輪2大会連続金メダルの北島康介さんなど、並みいるスター選手を輩出。その強さから、いつしか「日本のお家芸」とも称されるようになった。
近年は各国に強豪選手がそろい、男子200メートルを中心に「超高速化」が進むこの種目。その最前線には初の東京五輪代表に決まった佐藤翔馬(東京SC)や、この1年で急成長を遂げた新星、武良竜也(ミキハウス)が立つ。
新型コロナウイルスのため1年延期となった東京大会に向け、選手たちを駆りたててきたのは「お家芸で負けるわけにはいかない」という強い思いだ。歴史に新たに名を刻むのは誰か。
Player
実力世界級。
五輪表彰台
頂点狙う
佐藤翔馬 さとう・しょうま
2001年2月8日生まれ。東京都出身。0歳から水泳を始める。小学校から慶応に通い、慶大進学後の2019年、世界ジュニア選手権男子200メートル平泳ぎで銀メダルを獲得した。
4月の日本選手権では渡辺一平(トヨタ自動車)が持っていた日本記録を超える2分6秒40で優勝し、初の五輪代表に選ばれた。かつて北島康介さんが所属していた東京スイミングセンターを拠点とし、体格や泳法も似ていることから「北島2世」と称される。177センチ。
キックが持ち味
急成長を遂げた
「北島2世」
世界選手権2大会連続銅メダルの渡辺を中心に、実力者がそろった近年の日本の男子平泳ぎ。そんな中、彗星(すいせい)のごとく現れたのが佐藤だった。2020年1月の北島康介杯で2分7秒58をマークし初優勝。今年4月の日本選手権では渡辺の持っていた日本記録を塗り替え、新たなお家芸の顔となった。
佐藤の泳ぎの特徴は力強いキック。西条健二コーチによれば「足首が人一倍曲がるので、早めに水をとらえて蹴ることができる」。佐藤自身も「合宿で同世代の選手と練習しているときに自分だけキックがめちゃめちゃ進む感じがあった」と早くから手応えを感じ、特技を磨いてきた。この3カ月は前半、後半で蹴り幅を変えてスピードをコントロールする方法を模索。本番では変幻自在の脚さばきに注目だ。
大学進学を機に急成長
強靱なメンタル携え
初の大舞台へ
佐藤の快進撃の一因は、ここ数年の練習環境の変化だろう。小学校からの「慶応ボーイ」である佐藤は文武両道のために練習時間が限られていたが、大学進学を機に1日2回のトレーニングスケジュールや高地合宿も組めるように。才能が一気に開花し、この2年で自己ベストを約5秒縮める驚異的な成長を遂げた。
大舞台で物おじしない精神力の強さも魅力の一つ。日本代表の平井伯昌監督はかつてのまな弟子である北島康介さんを引き合いに出し、泳法だけでなく「集中力とガッツがあるところがそっくり」と証言する。本格的なシニアの国際大会デビュー戦が東京五輪となるが、「負けるビジョンはない」。20歳は金メダルただ一つを見据えている。
約100年の伝統
引き継がれる
DNA
影響力は今も健在
「北島康介」
というレジェンド
「憧れの選手は北島康介さん」。渡辺や佐藤が口をそろえてこう話すように、北島さんは五輪2大会連覇といった活躍ぶりで後世に大きな影響を与えてきた。
渡辺が北島さんと直接初めて会ったのは2007年。地元の大分国体前のイベントで隣で泳ぎ、サインボールをもらったことを今も鮮明に覚えているという。「動画を見てはストリームラインをマネした。みんなが期待する結果を五輪で出すところにも憧れる」
佐藤は09年に拠点主催の大会で初めて北島さんと対面。「サインと握手をしてもらって。その大会で平泳ぎが一番いい結果が出たので、(専門を)平泳ぎにしようと思った」。レジェンドのDNAは脈々と次代に引き継がれている。
2016年リオデジャネイロ五輪前の日本選手権で、渡辺(右)は北島康介さんと代表争いを繰り広げた
古くは戦前から
多くの名場面で
鮮烈な印象を残す
日本の平泳ぎの歴史は古くは戦前まで遡る。1928年アムステルダム大会、鶴田義行が男子200メートル平泳ぎで2分48秒8で日本水泳界初の金メダルを獲得。その8年後のベルリン大会では、前畑秀子が200メートルを制し、日本人女性初の金メダリストとなった。
戦後も続々とトップ選手が生まれ、92年バルセロナ大会では当時14歳だった岩崎恭子が史上最年少の金メダリストに。「今まで生きてきた中で一番幸せです」というレース後の言葉が話題を集めた。2016年リオデジャネイロ大会では、金藤理絵が岩崎以来24年ぶりに女子200メートルを制した。
Game
200m平泳ぎの
注目すべき
2つのポイント
- 世界のライバル
- 勝負を左右するレースプラン
歴史に残る
高速レース
主役は俺だ
日本の前に
立ち塞がる
世界の強豪たち
アントン・チュプコフ ロシア
1997年2月22日生まれ。男子200メートル平泳ぎ世界記録保持者。ラスト50メートルの驚異的な追い上げに定評がある。2019年世界選手権では、渡辺が当時持っていた世界記録を一気に塗り替え、2分6秒12で優勝した。
主な戦績は16年リオデジャネイロ五輪銅メダル、17年世界選手権金。188センチ。
※ロシア勢は東京五輪ではドーピング違反歴や疑惑のない選手のみ個人資格で出場が認められ、所属にあたる名称は「ROC(ロシア・オリンピック委員会)」となる。
マシュー・ウィルソン オーストラリア
1998年12月8日生まれ。前半からの積極的なレースが持ち味。2019年世界選手権では準決勝で当時渡辺が持っていた世界記録(2分6秒67)に並ぶと、決勝でも2分6秒68の好記録で銀メダルを獲得した。
主な成績は17年世界選手権8位、18年パンパシフィック選手権3位。186センチ。
ザック・スタッブレティ・クック オーストラリア
1999年1月4日生まれ。今季好調の新星で、後半の粘り強い追い上げを持ち味とする。6月のオーストラリア選手権では今季世界1位となる2分6秒28をマークした。
主な成績は2018年パンパシフィック選手権銀メダル、19年世界選手権4位。181センチ。
アルノ・カミンガ オランダ
1995年10月22日生まれ。もともと100メートルで頭角を現したが、近年、200メートルで急速に力をつけてきた。2020年12月には国内大会で今季3位となる2分6秒85を記録した。
主な成績は21年欧州選手権銀メダル。184センチ。
2016年リオデジャネイロ五輪以降、男子200メートル平泳ぎは一気に「高速化」が進んだ。19年世界選手権決勝は渡辺までの上位3人が2分6秒台をマーク。優勝タイムはリオ五輪から1秒以上も縮まった。
この1年は佐藤を始めとして新たに2分6秒台を出す選手が続出し、勢力図はさらに変化している。渡辺を指導する奥野景介コーチは「東京五輪では2分6秒台が決勝進出のボーダーラインとなるかもしれない」とハイレベルな争いを予想する。
前半先行か
後半追い上げか
レースプランで
ライバルを翻弄
水泳の勝敗を左右するレースプラン。トップ選手の泳ぎ方を比較してもそれぞれに大きな特徴がある。
2019年世界選手権2位のウィルソンの場合、最初の50メートルを28秒56でトップ通過したように「前半先行型」。一方、優勝したチュプコフは100メートルを最下位で折り返すも、体のきついラスト50メートルを全選手最速の31秒89で泳いだ「後半爆発型」。これには北島康介さんも「メンタルがほんとに強くないとできない」と舌を巻くほどだ。
21年4月の日本選手権の佐藤と武良の戦い方を照らし合わせると、佐藤が冒頭から飛ばしたのに対し武良はラスト50メートルの追い上げで前をいく渡辺をまくってみせた。2人とも本格的なシニアデビュー戦が東京五輪となるが、佐藤は「150メートルまで断トツでいって、後ろを気にせずに泳ぎたい」。いかに自分のプランを守れるかが鍵となりそうだ。
まだいるぞ
世界を脅かす
ダークホース
所属先の契約解除に
アルバイト生活・・・
苦節を経て初の五輪へ
武良竜也 むら・りゅうや
1996年7月3日生まれ。鳥取県出身。5歳から水泳を始め、大学1年時から小関也朱篤らを育てた藤森善弘コーチに師事する。
これまで日本代表の経験はなく、五輪延期が決まるまでは日本選手権5位が最高だったが、この1年で大きく才能が開花した。4月の日本選手権では自己ベストとなる2分7秒58をマーク。「2強」の佐藤、渡辺の間に割って入る番狂わせを起こし、初の五輪代表に選ばれた。173センチ。
一見、遅咲きのシンデレラボーイかのような経歴だが、武良を語る上で切っても切り離せないのが新型コロナウイルス禍での苦節の日々だ。昨春に当時の所属先から契約解除を言い渡され、スイミングスクールのインストラクターなどアルバイトを掛け持ちしながら競技を続けてきた。
20年11月までは1日2時間と限られた練習時間だったが、「1回の練習に集中力を注いで全力を出し切ってきた」。ストロークを小さくするなど技術も細かく見直すことで、記録を大幅に短縮。五輪でもダークホース的な存在となりそうだ。
パワーや身体能力に対抗しうる繊細な技術力。日本の平泳ぎが「お家芸」と呼ばれるまでに成長したのは、他のスポーツにも通ずる、日本人ならではの強みを磨いてきた証しだろう。
先輩たちからのバトンを受け継ぎ、今夏、新たなお家芸の顔となった佐藤らが挑むのは平泳ぎ史上最もハイレベルな戦い。「目指すのはもちろん金メダル。周りに流されず、自分のレースに徹したい」と佐藤。歴史に新たな名を刻む瞬間が近づいている。