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迫る「老老医療」の危機 回らぬ現場、ITで克服を

迫る「老老医療」の危機
回らぬ現場、ITで克服を

人類未踏の領域に達しつつある日本の高齢化。官民挙げて活力ある長寿社会を目指すが、道のりには多くの壁が待ち受ける。そのひとつが医療だ。財政危機とは異なる理由で、十分な医療を受けられなくなるリスクが膨らむ。老いた医師も増え、体力面から診療に充てる時間がどんどん短くなるからだ。「老老介護」ならぬ「老老医療」――。日本経済新聞の分析によると、今後は大都市圏でも過疎地並みに医師の不足感が強まる地域が続出する見通しだ。カギを握るのは看護師の活用やオンラインによる遠隔診療。思い切った規制緩和で医療現場の生産性を高める処方箋が欠かせない。

75歳以上の住民1人に対して
医師が割ける診療時間(週ベース)
  • 値なし
  • 60以上(大都市レベル)
  • 50〜60未満(地方都市レベル)
  • 40〜50未満(厳しい地方都市レベル)
  • 30〜40未満(過疎地レベル)
  • 30未満(厳しい過疎地レベル)

2026

Analysis 診療時間2割減、
広がる「過疎地」

日経新聞は単純な医師や住民の人数ではなく、医師の総労働時間と後期高齢者人口に着目し、医療需給の変化を捉えようと試みた。医師の年齢を考慮すれば、医師数の伸びほど診療時間の総量は増えない。かたや後期高齢者は体調を崩しやすく、患者数が急増する。過疎地は医師不足が深刻で、大都市は余裕があると思われているが、将来は大都市でも急速に高齢化が進む。医師が割ける診療時間は減っていくのではないか――。

地域医療に詳しい国際医療福祉大学の高橋泰教授の協力を得て、近隣市区町村のかたまりとして都道府県が定める344の 「2次医療圏」ごとに医師の労働時間と人口分布を分析。26年の後期高齢者1人あたりに医師が割ける診療時間(週ベース)を予測した。

すると、大都市でも医師の診療時間が、地方都市、過疎地のように短くなる地域が続出する見通しであることわかった。


まず16年を見てみよう。三大都市圏を中心に住民数や人口密度の条件を満たす大都市型の52医療圏の平均は78.1分。地方都市型の166医療圏は57.2分、過疎地型の126医療圏は31.7分だった。この現状を基準にして30分未満を「厳しい過疎地レベル」とし、10分単位で「過疎地」「厳しい地方都市」「地方都市」「大都市」の計5つの水準に分類した。「大都市レベル」は60分以上だ。

大都市型52医療圏のうち、後期高齢者1人あたり診療時間がこの時点で「大都市レベル」は32、すでに「地方都市レベル」になっているのは9、「厳しい地方都市レベル」が10、「厳しい過疎地レベル」が1だった。


26年になると様相は大きく変わる。大都市型医療圏の平均は63.4分と19%減り、地方都市型の14%減、過疎地型の12%減よりも落ち込みは深刻になる。診療時間が「厳しい地方都市レベル」の医療圏の数は10から12に、「過疎地レベル」はゼロから10に増えそうだ。大都市型の医療圏の2割で医師の不足感が過疎地並みになる。

高橋教授は「26年は団塊の世代がすべて後期高齢者になっている時期だ。その世代が多く住む大都市のベッドタウンはこれから厳しくなる」と指摘する。

地図上の全データ一覧

大都市では他の地域より減少幅が大きい

医療圏タイプ別の75歳以上住民1人あたりの診療時間

    (分)

    神奈川県の平塚市や秦野市が属する「湘南西部」は16年の61.6分から39.3分と一気に「過疎地レベル」まで急減する。ほかには東京都の中核市である八王子市や町田市などで構成する「南多摩」、埼玉県の「南西部」(和光市や朝霞市)、「東部」(越谷市や三郷市)などもこの水準になる見通しだ。

    (分)

    (分)

    (分)

    いったい「老老医療」の現場はどのような不都合が生じているのだろうか。それを確かめるため、まず東北の地に飛んだ――。

    Episode 1 秋田に見える未来図
    78歳、手術のメス握る

    秋田県 大館・鹿角の2016年と2026年の比較

    秋田県北部にある大館市や鹿角市で構成する2次医療圏。全住民のうち65歳以上の高齢化率は36%に達する。医師の3人に1人が60歳以上という典型的な「老老医療圏」だ。後期高齢者1人あたりの診療時間は16年時点で23.5分と極めて短い。

    大館市立総合病院の吉原秀一院長(64)の表情に疲労の色がにじむ。「10年前と比べ圏内の開業医は3分の2まで減り、平均年齢も70歳になった。診療所などで見切れない人がこちらに来院し、いつも混雑している」。多忙で倒れる医師が出て、再雇用した高齢医師や研修医で埋め合わせている。19年まで78歳の医師が手術のメスを握っていた。

    ただでさえ苦しい人繰りに、国内の新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけた。感染症指定医療機関として夜間救急を担当する医師を2人から3人に増やした時期があり、残業時間は増えたという。

    高齢化で合併症を持つ患者が増加した。吉原院長は「複数の診療科で診る必要があり、医師の負担は増している」と語る。

    秋田労災病院(秋田県大館市)で診療する奥山院長(62)
    秋田労災病院(秋田県大館市)で診療する奥山院長(62)

    南東に10キロメートルほど離れた秋田労災病院も事情は同じだ。整形外科医の奥山幸一郎院長(62)は今も週2日手術に立つ。内科の常勤医師はおらず、頻繁に来院する透析患者を自ら診療することも多い。「この10年でカバー範囲は広がった。私は内科や精神科の診療も手がけなければならない。新しい知識の吸収に努めているが、基本は研修医時代のスキルで対応せざるをえない」。奥山院長は「仕事が好きだからこなせている」と笑うが、年齢を重ねるごとに自らのやる気で医師不足を補う負担は増す。

    このように逼迫した実態は地方都市、そして大都市にある医療現場の将来像だ。

    ところが、厚生労働省は「全国の医師数は過去最大になった」と説明しており、危機感は薄い。18年時点での医師の総数は32万7000人。08年以降に医学部の定員を増やした結果、医師の総数は26年までに34万人まで上積みされる。医師は大都市に偏在しているだけで、地方に誘導すれば均衡するとの考え方なのだ。

    医師数は増えるが、
    60歳以上の割合が上昇

      • 実測
      • 予測

      (人)

      (出所)医師・歯科医師・薬剤師調査。2026年は国際医療福祉大学の高橋秦教授の予測

      だが、冒頭で指摘したように、年齢要素を加えて変化を追わなければ実態を見誤る。

      もう少し詳しく見てみよう。18年までの10年間で医師全体は14%増えたが、59歳以下は5%の伸びにとどまる。高齢の医師は長時間、働けない。男性医師は当直を含めれば40代で週70時間以上勤務するが、60代になると50時間台に急減する。

      しかも、厚労省の調査によると、後期高齢者の1日あたり患者数は10~30代の3~6倍になり、診療時間はその分増える。過疎地で起きている人手不足が全国に広がる懸念が強まるのだ。

      医師の平均労働時間は
      年齢が上がるにつれ短くなる

      (時間)

      (注)病院に勤務する医師。当直の待機時間も含む。週ベース。
      (出所)医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査

      75歳以上の受診頻度は若者の3〜6倍

      年齢別の10万人あたり1日の患者数

        (人)

        (出所)2017年患者調査

        Episode 2 東京都八王子市
        在宅医療の後継育たず

        東京 南多摩の2016年と2026年の比較

        政府は社会保障費の膨張を抑制するため、病院外でできる療養は自宅に移そうとする取り組みを進めている。在宅医療が広がれば、医師の行動範囲も広がる。しかし、その地域基盤は脆弱だ。

        東京都八王子市や町田市などからなる南多摩2次医療圏は、大都市型に属するが、後期高齢者1人あたりの診療時間は16年時点で51.4分とすでに「地方都市レベル」にある。26年には「過疎地レベル」の37.4分に減少する。

        「在宅医療が必要な患者は増えるのに、それを支える開業医のなり手が足りない。後継者がいない病院も多い」。八王子市で訪問診療を手がける数井学氏(63)は嘆く。

        市内で在宅医療に対応する医師はおよそ20人。半数以上は60代以上だという。在宅医療患者の緊急時に備え、12人の開業医が24時間体制の当直を維持するが、高齢医師の負担は重い。数井氏の周辺には「『自分が死んだらパニックになる』と話す医師もいる」という。

        八王子市を含む2次医療圏は25年に後期高齢者が24万5000人と、15年の1.5倍に増える。一方で医師は60〜70代しか増えず、30〜40代は逆に減少する見通しだ。

        Episode 3 新潟県新発田市
        働き方改革の衝撃

        新潟県 下越の2016年と2026年の比較

        19年4月に働き方改革関連法が施行された。超過労働時間の上限を月平均80時間とする規定は24年4月から医師にも適用される。日本の医師の労働時間は海外に比べ長い傾向にあり、病院勤務医の4割以上は週あたり超過労働時間が20時間を超えている。長時間労働の是正は必要だが、その分、国内全体の医療の供給量は減る。

        「全国で今のような勤務シフトが組めなくなるだろう」。新潟県立新発田病院(新発田市)の塚田芳久院長は危機感を強めている。

        この病院の常勤医師は100人。救命センターがあり、7人の医師が「時間外労働に関する協定(三六協定)」の上限を超え、労働基準監督署から19年12月に是正勧告を受けた。このため、宿日直体制の見直しや32時間連続勤務の廃止、複数主治医制の導入など対策を講じた。塚田院長は「若い時期は無理をしてでも学んでいた。医療の質を保てるか不安だ」。

        1週間で60時間の残業も

        週あたり医師の超過勤務時間
          (出所)厚労省医療政策研修会資料

          日本は米国に比べ労働時間が長い

          医師の週労働時間
          日本

          (%)

          米国

          (%)

          (出所)広島国際大学の江原朗教授の資料

          Solution オンライン診療の普及がカギ

          「老老医療」の進行で日本の医療は袋小路に迷い込みそうだが、解決策はある。

          まず、看護師による医師の補助を増やすことだ。15年から通常は医師にしか認められていない動脈からの採血やインスリンの投与量調整などを、研修を受けた看護師ができるようになった。「特定行為」と呼ぶ制度だ。医師の負荷軽減だけでなく、看護師が医師からの指示を待つ時間も短くなる。

          ところが、この研修を受けた看護師の数は政府目標の10万人に対し、19年3月末でわずか1700人。医療機関の理解が進まないほか、研修費用が高すぎるとの批判がある。研修費を補助したり、研修を終えた看護師を報酬面で報いたりするなど、テコ入れが欠かせない。

          診療の一部を担える看護師数は目標に遠く及ばず

          看護師の特定行為研修修了者数

          政府目標

          100,000

          (出所)厚生労働省

          もうひとつ有望視されているのが、15年に事実上解禁されたオンライン診療だ。無駄な来院を減らし、医師の業務効率が高まる。

          システムを開発するメドレー(東京・港)の田中大介執行役員は「医師不足の解決にITは大きな力となる」と語る。今回、新型コロナ対応の時限措置として初診でも解禁となったが、医師の間ではオンライン診療への抵抗感が強い。人気のある医師に患者が集中し、ITに弱い医師との格差が生まれると考えているからだ。 「老老医療」を乗り越えるには、流行終息後も規制緩和を推し進めると同時に、医療行為を支える医師の自己変革も必要になってくる。