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今からちょうど50年前、お金の歴史を揺るがす〝大事件〟が起きた。1971年8月15日の「ニクソン・ショック(ドルショック)」だ。これを機に主流になった「変動相場制」は戦後の世界経済に発展をもたらす一方、たびたび新興国で危機を招いてきた。最近では「デジタル通貨」の普及が現実味を帯び始め、ドルの基軸通貨体制を巡って波乱の兆しも見られる。通貨の未来は世界経済にどんな影響を与えるのか。日本経済新聞ではニクソン・ショックから50年がたつ節目に合わせ、連載企画「通貨漂流、ニクソン・ショック50年」をスタートする。

激変した円相場
始まりは1971年

ドル円の長期チャート

変動相場制の時代が始まってから、日本円はドルに対して上昇してきた。戦後の固定相場制の時代に1ドル=360円だった円は、1973年の変動相場制への本格移行や、ドル高の是正を決めた1985年のプラザ合意などを経て、1ドル100円台と3倍近くになった。金融取引で円は相対的に安全な資産とされ、東日本大震災が発生した2011年には75円32銭の戦後最高値をつけた。

通貨のルールが
変わった

ニクソン・ショック

近代の通貨は金と交換できることが信用の裏付けとなっていた。戦後の国際通貨体制も金とドルとの交換を米国がいつでも保証することで支えられた。ところが、1960~70年代にかけてベトナム戦争による軍事費拡大などで米国の財政が悪化し、 金が国外へ流出。金不足とインフレに直面した米国のニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表して世界を驚かせた。

変動相場制のスタート

ニクソン・ショック後の協議を経て、ドルを基軸通貨とする変動相場制の時代が始まった。金との交換がなくなると国が発行する通貨の量を調整しやすくなるため、金融政策の自由度は増す。一方、国をまたいで資本を移動しやすくなったことで、急激な資本の流出・流入による通貨危機や物価変動も起きやすくなった。

揺れる世界の
160通貨

世界には約160の通貨があり、日本のように通貨の値動きを管理せずに市場にまかせる自由な変動相場制はユーロ圏の19カ国を含め31カ国。そのほかは資本流出などを抑えるために積極的な介入を実施していたり、ドルやユーロとの固定相場制を導入したりしている。

世界の国の通貨制度

  • 自由な変動相場制
  • 管理下の変動相場制
  • 固定相場制
  • 固定相場と変動相場の中間的な制度
  • 自国通貨を持たない国
出所:IMF(2020年)

自国通貨を持たない国

法定通貨
米ドル エルサルバドル、エクアドル、パナマ、パラオ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、東ティモール
ユーロ コソボ、サンマリノ、モンテネグロ
(※ユーロ圏以外で独自に採用する国)
豪ドル キリバス、ツバル、ナウル

自国通貨を持たずドルやユーロなどを法定通貨とする国は13カ国。南米では深刻な通貨危機やインフレを通じて「ドル化」の議論がさかんになり、2000年代初頭にかけてエルサルバドルやエクアドルが自国通貨を放棄した。戦後に独立した小規模な国では経済的な結びつきの強い米ドルをそのまま使う例もある。

危ぶまれる
ドルペッグの継続

ロイター

新興国では為替介入や金利の調節でドルとの交換レートを一定に保つ国も多い。通貨変動を抑えて海外から資金を呼び込みやすくする狙いだが、ドルの変動に左右され、自国の経済状況に合わせた金融政策が取りにくくなる制約もある。中国が統制を強める香港では、香港ドルを米ドルに連動させるペッグ制度の廃止観測がくすぶる。

米利上げ観測に苦しむ
変動相場制

トルコリラは急落した

  • 外資準備(対外債務に対する比率)(左軸)
  • リラの価格(右軸)
出所:世界銀行、FRED

変動相場制の国の通貨は基軸通貨を持つ米国の金融政策や外交政策に左右される。なかでも米国が利上げに向かう局面では資金が米国に回帰しやすくなり、経常赤字で外貨準備が不足する国の通貨は売り込まれやすい。米国の利上げが進んでいた2018年には当時のトランプ米大統領がトルコへの経済制裁を発動したのをきっかけにトルコリラが急落。ほかの新興国通貨も売り込まれた。新型コロナウイルスの危機後に金融緩和が縮小に向かう場面でも、新興国の通貨安が再来しかねないとの懸念は根強い。

通貨システムの
構造問題

止まらぬ通貨の膨張

世界の通貨の供給量(GDPに対する比率)

出所:世界銀行(現預金通貨にその他証券などを含めた広義のマネーサプライ)

変動相場制への転換で国は通貨を金と交換する必要がなくなり、金の保有量を上回る量の通貨を発行できるようになった。通貨の供給量を増やしてお金を行き渡らせることで経済を拡大しやすくなる。一方、通貨の膨張に需要の拡大が追いつかず、余剰なお金による投機的な取引などで危機が増幅されるようにもなった。

繰り返される通貨危機

タイバーツの値動き

出所:FRED

タイの金融収支

出所:IMF

国をまたぐ資本移動がしやすくなったことで、急激な資金流入や流出による危機が起きやすくなった。1980~90年代にはメキシコペソなどの南米通貨危機、1997年にはタイバーツの暴落をきっかけにアジア通貨危機が発生した。当時、新興工業国への期待から急速に資金が流入しながらも脆弱な経済体制だったタイの通貨は割高になっており、投資家の売りを誘いやすくなっていた。バブル化していた経済が資本流出で一気にしぼみ、アジア各国に危機が連鎖した。

ドル基軸が抱える矛盾

貿易や金融取引の中心である基軸通貨ドルの信認が揺らげば、世界経済は大きく混乱する。ただ、ドル基軸は米国自身にとってももろ刃の剣ともいえる矛盾をはらむ。

基軸通貨であるドルを世界に行き渡らせるには、米国が海外でモノやサービスを買うことなどを通してドルを供給する必要がある。ただ、ドルの供給を続けると経常赤字になり、ドルへの信認は揺らぐ。この矛盾は指摘した経済学者の名から「トリフィン・ジレンマ」と呼ばれる。

米国の経常収支

出所:米商務省

バイデン政権の大盤振る舞いが歯止めのない経常赤字の拡大につながればドルの信認は揺らぐ。市場関係者はドルの急落を潜在的なリスクとみて神経をとがらせている。

未来の通貨体制は

通貨の未来はどうなるのか。焦点は「ドル覇権」が揺らぐかどうかだ。かつては経済学者のケインズが超国家的な通貨を提唱したことがあり、その後もドル覇権に疑問を呈する声は続いてきた。今後は複数の通貨が貿易や決済の中心になる多極化時代を予想する見方があるほか、米フェイスブックが世界的な議論に火を付けた「デジタル通貨」の行方にも注目が集まる。2021年にはエルサルバドルが世界で初めてビットコインを法定通貨に導入する予定で、「ドル依存」から脱却しようとする動きが広がる可能性もある。

I. 超国家的通貨の構想

戦後の枠組みを決めるブレトンウッズ会議で、英国代表を務めたケインズは主要国が通貨同盟を組んで超国家的な共通通貨を作る案を示した。

米国の反対で実現せず。ドルを基軸通貨とする国際通貨体制に。

II. ドル覇権への疑問

変動相場制へ移行した直後、世界経済は石油危機に見舞われた。自由主義経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、国がシニョリッジ(通貨発行による利益)を独占する体制では物価高騰や富の偏在は避けられないと指摘。国家以外も自由に貨幣を発行できる「自由通貨」の体制へ移行すべきだと主張した。

2002年に紙幣の流通が始まり、各国の通貨は廃止された。

金融危機後、米国はいち早く量的金融緩和政策を導入して経済を回復させた。米カリフォルニア大のアイケングリーン教授は、基軸通貨を発行することで為替に配慮せずに低金利・財政拡大策を取れるのは「とてつもない特権」だと指摘。米国が財政赤字を制御できなくなれば、特権は失われ、複数の通貨による多極化した通貨体制の時代が来ると予想した。

III. デジタル通貨の登場

米フェイスブックが特定の国家にしばられないグローバルな決済手段として、複数の法定通貨を裏付けとする「リブラ」の構想を発表。

金融政策や通貨の安定を損なうとして各国の規制当局から反対が相次ぎ、フェイスブックは構想を断念。米ドルなど単一の通貨に連動する仕組みに転換した。

英イングランド銀行(中央銀行)のカーニー前総裁は各国の中銀首脳や経済学者が集まる会議で、ドルに依存した通貨体制のリスクを指摘。各国が連携して、ドルに並ぶデジタルな「合成的な覇権通貨」を構築する必要があると訴えた。

2022年の北京冬季五輪での実験や法整備を経て、同年にも正式発行する。

超国家的な通貨を作る構想は絶たれたが、米ドルなど単一の通貨とそれぞれ連動するデジタル通貨として再出発を目指している。第1弾として米ドルと連動する「ディエム(リブラから改称)USD」を2021年内に発行する計画だ。

経済の行方を
占う通貨

自由な資本取引を促す通貨体制は世界経済の発展と脆弱さの両方をもたらした。最近ではデジタル通貨の普及で新たな通貨体制が誕生するシナリオも現実味を増してきたが、信用を担保する仕組みや金融政策のあり方などを巡る国際的な議論は始まったばかりだ。通貨は経済や国の将来をどう変えるのか。その動向から目が離せない。