宇宙の時空を誰が握るか――。米中の覇権争いは地球外に飛び出した。フロンティアに誰が先に到達するかという早さの争いにとどまらず、ルールメーキングでどこが先んじるかという新たな段階に入った。各国が独自法を相次ぎ制定し、無秩序の宇宙資源の開発競争につながる恐れも出てきた。人類が大海原に進出した大航海時代は、ルールで他国を抑えた英国が先行していたポルトガルやスペインを出し抜いて覇権を握った。宇宙開拓でも同じ道をたどるのだろうか。宇宙統治(コズミック・ガバナンス)を巡り、世界各国は火花を散らす。

01 ルール作りの
主導権狙う

ルールメーキングを主導した者が競争優位を築ける。その事実は歴史がこれまでも証明してきた。本格化し始めた宇宙のルール形成の動向から、各国の思惑も見え隠れする。

「月の時間」を世界標準化

月の時間について統一的な基準を作る動きが始まった。米政府は2024年4月、米航空宇宙局(NASA)に対し、“月版”協定世界時(UTC)にあたる「協定月時(LTC)」の策定を検討するように指示した。各国が宇宙開発を進める中、米政府の文書やビル・ネルソンNASA長官の発言からは、宇宙技術に深く関わる「標準」を押さえようとする意図が読み取れる。

米政府や関係者の言葉

ビル・ネルソン 
米航空宇宙局(NASA)長官
ビル・ネルソン長官
NASA提供、発言は2024年4月4日のネルソン長官のXから

宇宙では一秒一秒が重要になる。
月やその先の宇宙での
標準時を定めることは、
宇宙探査の将来にとって不可欠だ

協定月時策定に関する
米政府の文書
ホワイトハウスの公開文書
ホワイトハウスの公開文書から

U.S. leadership in defining a suitable standard — one that achieves the accuracy and resilience required for operating in the challenging lunar environment — will benefit all spacefaring nations.


月と地球の時差

アインシュタインの一般相対性理論によると、重力の違いによって流れる時間に差が生じる。月の重力は地球の6分の1。月では地球と比べて1日あたり約56マイクロ秒(1マイクロは100万分の1)時間が早く進む。時間がたてばたつほど、地球との差が大きくなる。現地に合った月の標準時間を導入することで、人工衛星や宇宙船をより高精度に運用できる環境を整えられる。

月では時間が早く進む

1秒の違いを示すイラスト

ルールが明暗分けた大航海時代

15世紀からスペイン、ポルトガルが相次いで世界に打って出た大航海時代。喜望峰経由の航海路によるアジアとの交易発達やアメリカ大陸の「発見」による資源の確保、オランダの参加による競争の激化など、世界史のターニングポイントになった。現代の宇宙資源の獲得競争にも重なる。この時代を最後に制したのは、オランダの中継貿易を阻む「航海条例」を展開した英国だった。

条約の限界、
変わるルール作りのあり方

宇宙空間におけるルール、いわゆる「宇宙法」は、1950年代後半から始まった米ソの宇宙開発競争をきっかけに整備された。宇宙の平和利用に向けて法的拘束力のある「ハードロー」の制定が議論され、「宇宙条約」など「国連宇宙5条約」が採択された。

それ以降は条約の採択に至っていない。全会一致で合意を得るのが困難になり、その後のルール形成では、国際的な合意やガイドラインといった法的拘束力のない「ソフトロー」が主流となっている。

海洋活動では国際関係の歴史の中で慣習法が形成され、後に国連海洋法条約として法典化された。宇宙空間でも国家実行を重ねることで共通ルールとして成熟する可能性がある。

ルール形成のあり方は
時代とともに変化

1950年代
米ソ宇宙開発競争

法的拘束力のある条約を規律

1967

宇宙条約

「宇宙の憲法」と呼ばれる最も基本的な宇宙法。宇宙活動の自由や領有の禁止、平和利用などを規定

1968

宇宙救助返還協定

1972

宇宙損害責任条約

1976

宇宙物体登録条約

1984

月協定

月やその資源を「人類共同の財産」と規定

法的拘束力のない合意やガイドラインが中心

1996

スペース・ベネフィット宣言

国際公益と宇宙活動の自由の調整を明確化

2007

スペースデブリ低減ガイドライン

2020

アルテミス合意

月や火星などの宇宙探査・宇宙利用に関する基本原則

今後

国家実行を重ねて共通ルールに?

宇宙資源、誰のもの?

宇宙先進国が宇宙資源開発に関わる独自の国内法の制定を急いでいる。2015年に米国が世界に先んじ、宇宙空間で取得した資源について企業による所有権を認める法律が制定した。ルクセンブルクやアラブ首長国連邦(UAE)も続いた。日本でも21年6月に宇宙資源法が成立。民間企業などによる資源の占有を認め、経済活動を保障する法律だが、「早い者勝ち」を助長するとの見方もある。

宇宙開発を巡る
国内法制定の動きが広がる

米国

1958年

国家航空宇宙法

1992年

陸域リモートセンシング政策法

2015年

商業宇宙打ち上げ競争力法

日本

2008年

宇宙基本法

2017年

衛星リモセン法

2018年

宇宙活動法

2021年

宇宙資源法

英国

1986年

宇宙法

2018年

宇宙産業法

ルクセンブルク

2017年

宇宙資源探査利用法

アラブ首長国連邦(UAE)

2019年

宇宙活動法

02 宇宙の覇権、
米中が火花

ルールメーキングや宇宙資源探査の場面で米中の対立構造が目立つ。世界各国が名乗りを上げる月面探査では、米国と中国をそれぞれ中心とした2陣営がしのぎを削る。

  • 米州
  • アジア
  • 欧州
  • その他
サイズ比較…
1000億ドル

協調から競争

1967年に発効した宇宙条約は、月を含む宇宙空間の探査・利用に関する国家活動を規律する最も基本的な宇宙法だ。国連加盟国の半数以上にあたる136カ国(2024年1月現在)が批准・署名する。

近年は月探査を巡り2つの枠組みが対抗する。米主導の「アルテミス計画」と中国・ロシアが進める「国際月研究基地(ILRS)計画」だ。

アルテミス計画はアポロ計画以来、約50年ぶりに月に宇宙飛行士を送ることを目指す。計画推進に向け、米国は宇宙の平和利用に関する「アルテミス合意」への署名を世界各国に働きかけている。日本や欧州各国のほか、オーストラリアやインド、ブラジルやナイジェリアなど5大陸から43カ国(24年6月12日時点)が参加する。

対抗軸のILRS計画は、35年までに月に無人基地を建設することを目標とする。パキスタンやアラブ首長国連邦(UAE)、エジプトなど11カ国(24年5月10日時点)が参加する。

アルテミス合意とILRS計画に参加する各国の名目国内総生産(GDP)を示している。円の大きさが国の経済規模の大きさを表している。

次に各国の宇宙予算を示している。米国だけで世界の宇宙予算の約6割を占め、ILRS計画の参加国の合計も上回る。

参加国呼び込みに奔走

ILRS計画に向けた月探査の一環として、中国の無人探査機が24年6月、世界で初めて月の裏側の試料を地球に持ち帰った。中国は各国の研究者による試料の研究を歓迎し、国際協力を呼び掛けながら陣営の活発化を図る。一方、アルテミス計画に対して「中国の宇宙開発の成果は中国人の努力と知恵で実現した。その発展は阻めない」と対抗姿勢を示した。月をめぐる米中競争は激化が予想される。

03 日本の覚醒

動き出す2つの「1兆円」

日本でも官のカネが動き出した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)を窓口に日本の勝ち筋となる宇宙技術に与える「宇宙戦略基金」と、宇宙空間の安全保障に対応するための防衛省予算だ。

宇宙戦略基金では今後10年で1兆円規模の支援を予定する。7月から順次公募する第1弾ではうち3000億円分が充てられ、テーマも定まった。第1弾の22テーマを分野別に調べたところ、半数以上が衛星関連だ。防衛省の予算(契約ベース)も公表されているテーマを分類すると、衛星が大半を占める。

宇宙戦略基金は
衛星中心に充てる

予算の割り当てと配分が大きいテーマのチャート・宇宙戦略基金
総額1兆円の支援のうち、まずテーマ案が公表された3000億円分を対象にした

防衛省の約1兆円も
衛星関連が大半を占める

予算の割り当てと配分が大きいテーマのチャート・防衛省
防衛省の資料を基に作成

隣り合う「軍事」、
求められる役割

宇宙開発は経済成長、技術革新の双方で国家の命運を握る重要な要素となりつつある。米モルガン・スタンレーは、宇宙産業の世界市場が17年比で約3倍の1兆ドル(約150兆円)超になると予測する。

宇宙に使われる各種の技術は軍事利用と民生向けとで切り分けが難しい「軍民両用技術(デュアルユース)」の代表例であることには注意が必要だ。現代で一般市民を含む社会のインフラとなった人工衛星の観測、通信、測位などの要素技術も、常に軍事に使われる恐れが潜む。

日本は一貫して宇宙の平和利用に徹してきた。経済発展や技術革新、対立を生まない資源探査を目指した平和な宇宙利用を持続するため、国際社会で主体的に役割を果たし続ける必要がある。