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広がる
「ゼロメートル」の街 東京圏、海面1メートル上昇で
面積3倍に

地球温暖化に伴う海面上昇が進むとともに、海面より低い「ゼロメートル地帯」が拡大していく。万一堤防が決壊すれば長時間にわたって一帯が水没する恐れがある。建物が密集し、人口の多い都市部では治水や避難の対策強化に制約も多い。100年先を見据え、街と住民を守る戦略が問われる。

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人口世界最多、
東京圏は水の脅威と隣り合わせ

東京圏(東京・神奈川・埼玉・千葉)の人口は約3500万人。米調査会社デモグラフィアのランキングでは、世界一人口の多い都市圏とされている。関東平野を流れる荒川や江戸川の下流に位置し、「江戸」と呼ばれた時代から数百年にわたって水との闘いを続けてきた。堤防や水門の整備などの治水対策が進む一方、東京都東部に広がるゼロメートル地帯は都市化によって人口が増え続けている。

日本経済新聞は、国土交通省が公開する国土数値情報の地形データ、ドコモ・インサイトマーケティング(東京・豊島)の推計人口データを基に、東京を流れる荒川や江戸川、多摩川の周辺エリアについて海面が上昇した場合のゼロメートル地帯の面積と影響人口を分析した。

海面以下の面積が拡大、
影響を受ける人口も大きく増える

足立区と葛飾区の間を流れる荒川

東京の海岸や川岸を守る堤防は、甚大な被害をもたらした1959年の伊勢湾台風クラスの高潮を想定し、東京都の管理分だけでも総延長は200キロを超える。だが、今後の海面上昇は想定しておらず、かさ上げなどの強化には巨額の費用と長い時間を要する。

緊急時、「垂直避難」で命を守る

東京都の葛飾区は西は荒川、東は江戸川に接し、現時点で区内の約半分をゼロメートル地帯が占める。46万人の区民を災害に先立って区外などに避難させるのは困難との認識に立ち、高い建物への「垂直避難」で住民を守る道を探る。

水が引くまで学校、商業施設、マンションなどに「垂直避難」
まばらな避難先、
30年がかりで増やす
  • 小中学校
  • その他の公共施設

注:国土交通省の3D都市モデル(G空間情報センター)と葛飾区のハザードマップから作成。©︎Mapbox, ©OpenStreetMap

同区は2021年、想定される浸水深でも水没しない小中学校やアパートなど209カ所の区有施設を「洪水緊急避難建物」に指定した。民間のマンションや大型商業施設にも避難受け入れの協力を求め、22年度から関連費用の補助に乗り出す。

19年に策定した構想では、30年がかりで避難建物を増やし、電源や食料・水などの備えを進める。最大24万人が水が引くまで2週間程度は避難生活を送れるようにする。

江東5区の人口と被害人口予測

注:洪水・高潮氾濫からの大規模・広域避難検討ワーキンググループの資料から作成

住民をどう守る、
現状でも答えは定まらない

国が2018年に公表した洪水・高潮氾濫の大規模・広域避難に関する資料によると、ゼロメートル地帯が広がる墨田、江東、足立、葛飾、江戸川の5区には15年時点で255万人が暮らしている。

荒川と江戸川の水位が同時に上昇する災害シナリオでは、浸水が想定される区域の住民は236万人に上る。

このうち81万人は想定される浸水深ですべての居室が水没する建物に住んでいる。どこにどう避難し、どうやって救助を待つのか。現状ですら確かな答えは示されていない。

潜在リスク下の人口は世界の都市で増加する

国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2021年8月に公表した報告書によると、温暖化ガスの排出量が多い状態が続くシナリオでは、海面上昇は2100年までに約1メートル、2300年には2~7メートル程度になると予測されている。

世界の多くの大都市が沿岸部の平地に形成されており、海面上昇が進むとともに潜在的な水害リスクの下で暮らす人々は世界中で増えていく。

日本経済新聞は、国連の2018年のデータで人口の多い世界30都市のうち、標高の低い沿岸部の17都市について海面上昇によって海面以下となる土地の面積と人口を試算した。

海面上昇1メートルの場合、最も影響が大きいのは中国・広州。海面以下の土地は990平方キロから1155平方キロに拡大し、影響人口は14%(262万人)から18%(331万人)に増加する。

海面が3メートル上昇した場合、中国・蘇州が人口の28%(約355万人)と最も影響が大きい。7メートルになると84%(約1070万人)に達する。他もインドネシア・ジャカルタ、インド・ムンバイなどアジアの都市が目立つ。

テムズ川沿いで
ゼロメートル地帯が拡大

英国の首都ロンドンは金融街「シティ」を中心に33区で構成され、900万人超が暮らす。

テムズ川の河口に近く、市域内には11平方キロのゼロメートル地帯がある。仮に海面が3メートル上昇すれば市域面積の約4%、56平方キロに拡大し、影響人口は17万人に及ぶ。

高潮被害を防いできた「守護神」

テムズバリアーはロンドン中心部(写真奥)を高潮から守ってきた=英国家警察航空サービス提供

市中心部から10キロほど下流にある可動式堤防「テムズバリアー」は、高潮から街を守る「守護神」。水面下にある遮水板を起こして幅520メートルの川を塞ぎ、上流へ向かう高潮を食い止める。1982年に運用が始まり、200回超の稼働実績がある。

英政府がYouTubeで公開しているテムズバリアーの解説動画

2100年に海面上昇
98センチを想定

将来の気候変動、海面上昇に備え、英国環境庁(EA)は2012年に「テムズ川河口2100年計画(TE2100)」を発表。今世紀末までに98センチの海面上昇を想定して総合的な治水強化を進めている。

迫るバリアーの寿命
改修か、新設か

設計上のテムズバリアーの寿命は30年までとされるが、海面上昇の状況などを見極めながら70年までは部品交換やメンテナンスで対応。さらに改修を加えて使い続けることも選択肢に入れている。

新たなバリアーを建設する場合、テムズバリアーから約15キロ下流のロングリーチは川幅が狭く建設コストを抑えられ、最有力の候補地となる。さらに約10キロ下流、ロンドンの外港として知られるティルベリーも候補だが、海運への影響がネックとなる。

海面上昇に応じて
対策前倒しも

出所:TE2100計画の5年レビュー(2016)を基に作成

TE2100では、海面上昇のスピードに応じて対策を10~15年程度前倒しすることも想定。EAのジュリー・フォーリー洪水戦略・国家適応担当課長は「最新の気候科学、地域環境の変化などに機敏に対応して対策をとっていく」と話している。

頻発する浸水被害、
さらに増加も

長江の河口に位置し、東シナ海に面する上海市。人口約2500万人が暮らす大都市では、今も頻繁に浸水被害が起きている。海面が1メートル上昇すれば、ゼロメートル地帯は現在の110平方キロから335平方キロに拡大。さらに水害のリスクは高まる。

緑の公園は「スポンジ」

2021年8月に浦東新区にオープンした「星空之境海綿公園」=上海市政府提供

2021年8月、浦東新区の人造湖「滴水湖」の近くにオープンした「星空之境海綿公園」は50ヘクタールを超え、東京ドームの約12個分に相当する。世界最大級の天文博物館「上海天文館」に隣接し、河岸の湿地や緑地を生かした園内を遊歩道が巡っている。

雨水を「吸収」して
市街を守る

園名の「海綿」はスポンジの意味。公園は大雨の際、周辺に降った雨水をスポンジのように吸収して市街を守る。湿地や緑地の保水能力に加え、遊歩道などには透水性の舗装を施し、地下に貯水槽も設けている。

市街8割を
「スポンジ都市」化する
  • 2016年公表の計画で示した建設予定区域

上海市は18年に公表した都市開発のマスタープランで、海綿公園や排水システムの整備を進めて洪水対策を強化し、35年までに市街地の8割を「海綿城市(スポンジ都市)」化するとの目標を掲げた。

湿地や緑地を生かして都市の排水・貯水能力を高める海綿城市のコンセプトは、景観建築家である北京大学の兪孔堅(ユ・コウケン)教授が提唱したとされる。中国では現在、上海を含む計30都市で海綿城市化のパイロット事業が国家プロジェクトとして進んでいる。

1000万人都市、
広がるゼロメートル地帯

ジャワ島西部に位置するインドネシアの首都ジャカルタの人口は1056万人。現時点でもゼロメートル地帯は30平方キロに及び、海面が1メートル上昇すれば51平方キロ、3メートル上昇すれば122平方キロに広がる。

進む地盤沈下、
水害の脅威は増大

2021年11月に発生した洪水の中、バイクを押す女性=AP

ジャカルタでは2020年だけで8回もの洪水が発生した。同国のバンドン工科大学の研究グループが19年に発表した論文によると、ジャカルタ周辺の地盤は年間1~20センチ沈下している。海面上昇と合わさって水害の脅威はさらに大きくなる。

首都移転、
大プロジェクトが始動

同国の国家開発計画庁は2012年、「50年には25〜50センチの海面上昇がある」などとジャカルタの災害リスクを指摘して首都の移転計画を公表した。22年1月には、ジャカルタから1200キロ離れたカリマンタン島(ボルネオ島)東部に、新首都「ヌサンタラ」を建設する法案が国会で可決された。

新たな政府施設、
2024年までに

新首都ヌサンタラの建設イメージ=インドネシア公共事業・公営住宅省(PUPR)提供

ヌサンタラの予定地は、海に近いものの台地状の地形で標高が30メートルを超えるところもある。24年までの第1段階では大統領宮殿などの政府庁舎やオフィス街、住宅地の整備を進め、25年以降は工業団地や大学の研究施設などの開発を始めるとされている。

主要136都市で損害1000兆円も

2100年時点の海面上昇に伴う経済的な被害が大きい上位20都市
  • 南極などの氷床融解を考慮したシナリオ
  • 温暖化ガスの削減対策なしのシナリオ

(出所)スペインの気候変動バスク・センターなどの研究グループの試算。コストは中央値。単位億ドル

スペインの気候変動バスク・センターなどの研究グループは2020年、沿岸部にある世界の主要136都市を対象に海面上昇に伴う経済的損害を試算した。温暖化ガスの排出削減がないシナリオでは、2100年時点で全都市の損害額(中央値)の合計は8兆3583億ドル(約1070兆円)に上るとした。損害が最も大きいのは中国・広州で1兆3923億ドル(約178兆円)。日本では大阪・神戸が3423億ドル(約44兆円)、東京が2704億ドル(約35兆円)、名古屋が2041億ドル(約26兆円)とした。

南極などの氷床融解によって海面が大幅に上昇するシナリオでは、136都市の損害額の合計は11兆507億ドル(約1414兆円)とさらに膨れ上がる。

未来の繁栄と安全、
問われる「適応」の覚悟

国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2月末に公表した報告書は「今世紀半ばまでに、世界の沿岸の低地にある都市や居住地に住む10億人以上が気候災害のリスクにさらされる」と予測。「多くは高台への移転を余儀なくされ、土地をめぐる競争が激化する」と警告した。

海面上昇は、都市の形成・発展の前提となった地理的条件を変えてしまう恐れがある。現在の繁栄と安全を守るには、変貌する環境に適応し、街をつくり替えていく覚悟が必要となる。

調査・分析の方法

海面上昇による東京周辺のゼロメートル地帯拡大の分析では、国土交通省が公開する国土数値情報の地形データを基に対象エリアを約250メートル四方に区切って平均標高を算出し、海面が1、3、7メートル上昇した場合に海面以下となる面積を調べた。ゼロメートル地帯の影響人口は、ドコモ・インサイトマーケティングが携帯位置情報を基に算出する推計人口データ(2月15日時点)を用いて算出した。
沿岸部にある世界17都市の分析では、米航空宇宙局(NASA)の立体地形データとWorldPopが公開する世界の空間人口統計(2020年)を使用。海面の上昇幅に応じたゼロメートル地帯の面積と影響人口を調べた。

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