日本が宇宙開発に乗り出して60年余り。先行する旧ソ連(現ロシア)と米国の遠い背中を追いながら積み上げてきたロケット技術など、宇宙での実績は世界でどの程度のレベルなのか。データで検証してみよう。
戦後に糸川英夫博士が手掛けた長さ23センチの「ペンシルロケット」が、日本の宇宙開発の原点だ。1955年に垂直発射実験した同30センチのロケットが達した高度は600メートルだった。
そして2015年。日本初となる海外商業衛星を載せ、打ち上げに成功した主力ロケット「H2A」29号機は3万4000キロメートルに到達。ペンシルロケットから5万6500倍という飛躍的な進歩を遂げた。
ロケットの大型化が進むにつれ、探査衛星や観測衛星を載せて運べる重量も2009年から打ち上げ始めた「H2B」(最新は2015年の5号機)では19トンに達した。1963年の「L-2」(150キロ)の127倍だ。
ロケット開発を着々と進めた日本だが、日本人が初めて宇宙に行ったのは旧ソ連と米国に遅れること29年後の1990年。当時TBS記者だった秋山豊寛氏が旧ソ連の「ソユーズ」に特派員として搭乗した。アジアでもベトナムやモンゴル、インドに先行され、世界で21番目だった。また宇宙に行った人数を国別でみると、日本は10人と、中国と並び世界4位となっている。
一方で国際宇宙ステーション(ISS)での国別滞在日数をみると、日本はロシア(旧ソ連時代含む)と米国に続く世界3位。ロシアと比べると約25分の1、米国の17分の1と大きく及ばないものの、欧州勢のドイツやイタリアに先行している。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)飛行士別のISS滞在日数は、若田光一さんが347日と全体の3分の1近くを占め、断トツの長さ。スペースシャトルに2回搭乗したうえ、ISSで日本実験棟「きぼう」の建設にかかわるなど日本の長期滞在の歴史を開いた。
ISSに2008年完成した「きぼう」。日本の実験棟だが、すべてを日本が使えるわけではない。使用権の46.7%は米国、2.3%はカナダが持っている。ISSの姿勢制御や電力供給などを米国に頼り、ロボットアームをカナダから提供されていることが背景にある。
ISSでの活動を視野に開発された主力ロケットH2Aは、2003年に打ち上げた6号機が唯一の失敗。2016年2月17日に打ち上げられた30号機までの成功率は96.7%に達する。
その改良型で大型化されたH2Bは、2009年以降の5回の打ち上げにすべて成功している。
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ISSに水や食料、実験道具などの物資を届ける補給機も、欧米や日本が打ち上げたのが5~8機なのに対し、ロシアは62機と群を抜く。ただ日本の「こうのとり」は現役では唯一すべて成功している補給機。2015年には米ロの補給機が相次いで失敗するなか成功し、日本の宇宙開発技術の評価を高めた。